堺市
大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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堺市(さかいし)は、大阪府の泉北地域にある政令指定都市。府内では大阪市に次いで人口が多い。
福井県にある同じ読みの「坂井市」とは異なります。 |
さかいし 堺市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 大阪府 | ||||
市町村コード | 27140-3 | ||||
法人番号 | 3000020271403 | ||||
面積 |
149.82km2 | ||||
総人口 |
810,163人 [編集] (推計人口、2024年2月1日) | ||||
人口密度 | 5,408人/km2 | ||||
隣接自治体 | 大阪市、松原市、羽曳野市、富田林市、大阪狭山市、河内長野市、和泉市、高石市 | ||||
市の木 | 柳 | ||||
市の花 | ハナショウブ | ||||
市の花木 市の鳥 |
ツツジ モズ | ||||
堺市役所 | |||||
市長 | 永藤英機 | ||||
所在地 |
〒590-0078 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
大阪府による地域区分では泉北地域とされるが、市制施行時の堺市域や南河内郡の旧郡域など歴史的に泉北郡ではなかった地域が多く含まれており、他の泉北地域3市1町とは区別されることもある。
大阪府内で人口・面積ともに大阪市に次いで第2の都市であるが、政令指定都市の中で比較すると面積は神奈川県川崎市に次いで2番目に小さい[1]。人口は2022年1月1日時点で佐賀県、山梨県、福井県、徳島県、高知県、島根県、鳥取県を上回る。
大阪市の衛星都市(ベッドタウン)としての一面を持ち、居住人口に比べて昼間人口の割合(昼夜間人口比率)が低く[2]、大阪都市圏に含まれている。
日本最大の大仙陵古墳を含む百舌鳥古墳群など、市内には古墳が多いことでも知られる[3]。また、中世には外国貿易が盛んな自治都市として博多と並ぶ商人の街へと発展し、環濠都市を築いた(詳しくは「堺」も参照)[4]。江戸時代には幕府の直轄地となるなど、都市としての歴史は古い。
市名の由来
「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国、河内国、和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われている[5]。「境」「左海」などとも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれてある)。
鎌倉時代以降は、摂津国と和泉国の荘園名として見られ、江戸時代以降は、両国の国境に大小路という東西幹線を敷いた町となった。宝永年間には大和川の付け替えが行われたが、1869-1870年まで大小路は摂泉国境(大小路以北の堺市街は摂津国であった)の役割を果たした。
国境が大和川に変更された後は和泉国のみに属する町となった。明治時代に入り、1880年の郡区町村編制法施行により、のちに堺市となる堺区(郡区制)が発足し、のちに泉北郡となる大鳥郡から分離した。また、1938年の南河内郡金岡村編入以降、和泉国と河内国に跨る市域を形成するようになり現在に至っている。このため、他の泉北地域と区別して「堺・泉北」のように併記されることがある。
「堺町」のある都市
堺商人が全国で活躍した証しとして、旧城下町から発展した都市には「堺町」もしくは「栄町」という地名が今も残っている。
大阪平野のやや南を西流する大和川の左岸下流域に位置する。大阪湾に西面し、北は大阪市、北東は松原市、東は羽曳野市、富田林市、南東は大阪狭山市、河内長野市、南西は和泉市、高石市に接している。市内は7つの行政区に分かれ、堺区が北西部に、美原区が東端部に位置する他は、中区、東区、西区、南区、北区と方位による区割となっている。
地形
市域は丘陵・台地・低地・埋立地に分けられる。泉北丘陵に堺市最高点(標高268.9m)がある。信太山台地に位置する大仙陵古墳(標高44m)は「大山古墳」とも表記されるが、高さ35mの古墳である。低地に位置する蘇鉄山(標高6.97m)は築山(堺台場跡)である。
丘陵
- 泉北丘陵
- 富田林丘陵
台地
- 信太山台地
- 美原台地
河川
湖沼
湾岸
気候
典型的な瀬戸内海式気候である。以下は気象庁が公開しているデータ[6]。
- 気温 - 最高39.7℃(2018年(平成30年)8月22日)、最低-5.3℃(1983年(昭和58年)2月14日、1981年(昭和56年)2月28日)
- 最大降水量 - 206.5ミリ(1982年(昭和57年)8月3日)
- 最大瞬間風速 - 43.6メートル(2018年(平成30年)9月4日)
- 夏日最多日数 - 157日(2019年(令和元年))
- 真夏日最多日数 - 96日(2004年(平成16年))
- 猛暑日最多日数 - 39日(1994年(平成6年))
- 熱帯夜最多日数 - 43日(2010年(平成22年))
- 冬日最多日数 - 68日(1984年(昭和59年))
堺市(大仙公園、標高20m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 19.1 (66.4) |
23.9 (75) |
25.6 (78.1) |
30.2 (86.4) |
33.0 (91.4) |
36.3 (97.3) |
38.3 (100.9) |
39.7 (103.5) |
36.8 (98.2) |
32.7 (90.9) |
28.6 (83.5) |
25.5 (77.9) |
39.7 (103.5) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.6 (49.3) |
10.5 (50.9) |
14.3 (57.7) |
20.0 (68) |
24.9 (76.8) |
28.1 (82.6) |
32.0 (89.6) |
33.9 (93) |
29.6 (85.3) |
23.6 (74.5) |
17.8 (64) |
12.3 (54.1) |
21.4 (70.5) |
日平均気温 °C (°F) | 5.6 (42.1) |
6.0 (42.8) |
9.3 (48.7) |
14.6 (58.3) |
19.4 (66.9) |
23.1 (73.6) |
27.2 (81) |
28.6 (83.5) |
24.6 (76.3) |
18.6 (65.5) |
12.9 (55.2) |
7.9 (46.2) |
16.5 (61.7) |
平均最低気温 °C (°F) | 1.6 (34.9) |
1.7 (35.1) |
4.5 (40.1) |
9.3 (48.7) |
14.4 (57.9) |
19.1 (66.4) |
23.4 (74.1) |
24.5 (76.1) |
20.6 (69.1) |
14.3 (57.7) |
8.4 (47.1) |
3.9 (39) |
12.1 (53.8) |
最低気温記録 °C (°F) | −5.0 (23) |
−5.3 (22.5) |
−3.3 (26.1) |
−1.1 (30) |
4.1 (39.4) |
9.1 (48.4) |
15.5 (59.9) |
16.6 (61.9) |
9.7 (49.5) |
2.7 (36.9) |
−0.9 (30.4) |
−3.4 (25.9) |
−5.3 (22.5) |
降水量 mm (inch) | 48.3 (1.902) |
57.8 (2.276) |
97.8 (3.85) |
92.2 (3.63) |
126.7 (4.988) |
164.1 (6.461) |
154.2 (6.071) |
87.3 (3.437) |
139.0 (5.472) |
139.3 (5.484) |
74.6 (2.937) |
51.9 (2.043) |
1,232.9 (48.539) |
平均降水日数 (≥1.0mm) | 6.4 | 6.9 | 9.5 | 9.3 | 9.6 | 11.8 | 10.3 | 6.6 | 10.0 | 8.9 | 6.8 | 6.6 | 102.6 |
平均月間日照時間 | 138.3 | 138.7 | 173.5 | 194.6 | 206.9 | 160.6 | 190.6 | 228.6 | 160.4 | 163.0 | 147.5 | 138.7 | 2,041.4 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年[7]、極値:1977年-現在[8]) |
地域
市内の地名
行政区
(1) 堺区 | (2) 北区 | ||
(3) 西区 | (4) 中区 | (5) 東区 | (6) 美原区 |
(7) 南区 |
次の7区が設置されている。詳細は各区の項を参照のこと。
コード | 区名 | 人口 (人)[注 2] |
面積 (km2) |
人口密度 (人/km2) | |
---|---|---|---|---|---|
(1) | 27141-1 | 堺区 | 149,281 | 23.65 | 6,312 |
(2) | 27146-2 | 北区 | 157,207 | 15.60 | 10,077 |
(3) | 27144-6 | 西区 | 133,103 | 28.62 | 4,651 |
(4) | 27142-0 | 中区 | 117,885 | 17.88 | 6,593 |
(5) | 27143-8 | 東区 | 84,465 | 10.49 | 8,052 |
(6) | 27147-1 | 美原区 | 36,785 | 13.20 | 2,787 |
(7) | 27145-4 | 南区 | 131,437 | 40.39 | 3,254 |
西部(堺区・西区)
沖積平野を含みおおむね平坦で、海岸線に沿って南北に通る紀州街道(国道26号~大阪府道204号)と熊野街道(小栗街道。大阪府道30号)に沿って早くから市街化している。元来の市街地である堺区の環濠内は紀州街道を大道と称して南北幹線としており、西区の中心となる鳳は小栗街道に沿う大鳥大社の鳥居前町として発展した。鉄道も両街道に沿うように南海本線、阪堺線、阪和線が通っている。これらの他、環濠内の堺市街地から東へ長尾街道(大阪府道12号)と竹内街道(大阪府道31号)、南東へ西高野街道(国道310号)が伸び、鉄道は西高野街道に沿うように南海高野線が通っている。
おおむね熊野街道の東側は信太山台地と呼ばれる高台が広がり、閑静な住宅地が多い。上野芝駅に近い霞ヶ丘や向ヶ丘といったやや規模の大きい住宅地は阪和線の母体である阪和電気鉄道により昭和初期に分譲された。また、この高台には北区にかけて古墳が多い(百舌鳥古墳群)。沿岸部は旧堺港南側の大浜海岸をはじめとして、かつては一大海浜リゾート地で知られ、西区の浜寺には高級住宅街も建設された。しかし、堺泉北臨海工業地帯の造成によって石津川以北は往時を偲ぶ影もなくなり、以南の浜寺水路と浜寺公園の松林に辛うじて名残が見られる。
中南部(中区・南区)
信太山台地から南へ泉北丘陵が広がり、石津川水系の河川に沿って古くからの集落が見られる。上述の交通網の影響から、交通過疎地といった状態が続いて発展が遅れていたが、泉北ニュータウンの開発で一変し、大阪市のベッドタウンとなった。鉄道は南海高野線に乗り入れる泉北高速鉄道が縦断する。また、この地域は須恵器の窯跡が多数発掘されている(陶邑窯跡群)。
東部(北区・東区・美原区)
西除川を境に西側の信太山台地と東側の美原台地に分かれる。台地は比較的平坦であるが、東除川の東側には富田林丘陵が広がる。西除川と東除川はどちらも狭山池の放水路であり、かつ大和川水系の河川である。大半が南河内郡の旧郡域にあたる。
東区では、昭和初期から高野沿線で住宅開発が行われ、南海鉄道(現・南海電気鉄道)の分譲による初芝住宅や、街の中央に噴水広場を設けた大美野の高級邸宅街が開発されている。第二次世界大戦前は堺市街の東縁・東郊に過ぎなかった北区は戦後、金岡団地や新金岡団地、中百舌鳥公園団地等の開発で急速に市街化した。1987年には御堂筋線がなかもず駅まで延伸され、現在では泉北ニュータウンから伸びる泉北高速鉄道と大阪市内へ向かう御堂筋線の接続駅として、多くの人に利用されている。また、この地域は美原区を中心に河内鋳物師ゆかりの地である。現在は何れの区も典型的な大阪市のベッドタウンとなっている。
新興住宅地
人口
1980年以降、人口は概ね横ばいを続けている。
堺市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 堺市の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 堺市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | ||
堺市(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接自治体・行政区
古代
石器時代
現在の堺市域に人が定住したのは古く旧石器時代とされる。市内各地の南花田遺跡などからは旧石器時代の打製石器や縄文時代の土器・石器、弥生時代の銅鐸・土器などが発掘されている。また、浜寺の四ツ池遺跡は池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)と並ぶ弥生時代の集落遺跡で、堺市域では最大規模を誇る[9](浜寺中学校造成と第二阪和国道敷設工事のため遺跡としての形はとどめていない)。1989年には国の史跡に指定された。このほか、石津川流域の下田町や鶴田町でも、竪穴建物跡を中心とする集落跡や土器・金属器などが出土している。
古墳時代(ヤマト王権の重要地)
古墳時代には、泉北丘陵を中心に須恵器の生産が行われた。生産は奈良時代を経て平安時代まで続いた。泉北ニュータウン周辺や信太山丘陵にかけて須恵器の窯跡などの遺跡が点在しており、「陶器」「釜室」などの地名が現在に至っても残る。ヤマト王権成立後は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など大小100数基の百舌鳥古墳群が造られた[9]。神功皇后が三韓征伐からの帰途、現在の七道の浜(当時は摂津国住吉郡)に寄り、地元の田裳見宿禰(摂津国住吉郡の豪族)に津守氏の姓を与え、住吉三神を祀るように告げたという(住吉大社の起源)。
飛鳥時代(難波大道と交通網)
飛鳥時代になると、難波宮、難波京や難波津から聖徳太子ゆかりの仏教寺院である四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥京と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡・東区日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり[9]、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。また、行基が大野寺を建てた[9]。
中世
平安時代
鎌倉時代(堺北荘と堺南荘)
南北朝時代(南朝と勘合貿易)
南北朝時代には、南朝方の住吉大社宮司の津守氏に関係して南朝の外港的役割を担うようになり、廻船が発着する港へと発展した。地下請の特権を得て、室町時代には足利将軍家や管領細川氏などが行った日明貿易(勘合貿易)の拠点となる。戦国時代には明やルソン、カンボジアなど東南アジア方面での貿易で栄えた。
室町時代・戦国時代(東洋のベニス)
応仁・文明の乱以後、それまでの兵庫湊(大阪湾北西部、現在の兵庫県神戸市)に代わり堺は日明貿易の中継地として更なる賑わいを始め、琉球貿易・南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる難波津や住吉津などと同様、国際貿易都市としての性格を帯びる。キリスト教布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた[9]。この文章によって、堺の様子は当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、マラッカの司令官宛に「堺は日本の最も富める湊にして国内の金銀の大部分が集まるところなり」と報告、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している[9]。なお、フロイスは永禄の変の後4年ほど堺に滞在している。
近世
安土桃山時代(自治都市)
安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆(えごうしゅう、かいごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、中世の自治都市となるが、その価値に注目した織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。自治機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれた。古代からの港湾都市としては他に大坂の住吉津や難波津、中世に渡辺津、朱印船貿易で活躍した末吉孫左衛門など豪商を輩出した自治都市の平野郷などがあった。渡辺津近くの石山本願寺跡地に大坂城が築かれ、城下町 (船場周辺) が整備されるに伴い平野商人や京都の伏見商人(現在の大阪市中央区の平野町や伏見町にその名を残している)が移動し、堺商人の多くも大坂へ移住した。同様に全国各地の城下町にも堺商人などが移り住むようになる。産業面では戦国期より鉄砲(火縄銃)生産が盛んに行われた。また文化面では今井宗久や千利休、津田宗及に代表される茶の湯などが特記される。特に信長から武装解除された大和国今井(現在は奈良県橿原市)との交流は深く、竹内街道を通じ江戸時代まで毎日行き来した。「海の堺」に対し「陸の今井」と呼ばれ、堺同様に自治都市として栄えた。
江戸時代(近世都市の源)
江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は再び大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなり、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。
しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響は大きい。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人の大半が集中していた。一方、堺商人は海運のため全国の中小港湾都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多、鹿児島、大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪、名古屋、東京も例外ではない。
江戸時代後期からそれ以降(工業都市)
江戸時代でも後期に入ると、醸造業などが栄えた影響で再度活気を取り戻すようになる。幕末になり、欧米列強が大坂の開港を要求すると、大坂が京都に近いため堺がその代港候補に挙がる。だが江戸幕府内勤皇派は、堺周辺には古墳が多いため、堺を開港地にすると外国人が無断で古墳に出入りする可能性があると指摘。そのため、第二候補であった摂津国の兵庫(神戸)が開港地に選ばれた。この結果、堺は中世以来の国際貿易港への復帰の道を閉ざされ、その座を神戸に明け渡すことになった。
近代
明治時代
明治時代以降は、紡績や煉瓦産業を中心に次第に工業都市へと変貌を遂げていき、阪神工業地帯の一角を占める経済的地盤を作り上げていく。
室戸台風による被害
1934年(昭和9年)9月21日、室戸台風接近に伴い暴風雨による被害。九間町の錦小学校では旧木造校舎が倒壊して約150人の児童らが下敷きとなり、死傷者多数。また、殿馬場小学校の校舎も倒壊したが死傷者は無し。南海本線では堺駅、七道駅間に停車していた電車1両が転覆。[10]。
堺空襲
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)当時、日本には180の都市があり、うち58都市がアメリカ軍による空襲を受けた[9]。アメリカ軍は180都市を人口の多い順に空襲する作戦をとり、堺市は人口18万人で空襲順位は24位であった。広義の「大阪大空襲」で着弾目標地点が置かれたのは大阪市(空襲順位2位)と堺市、兵庫県尼崎市(同25位)のみである。アメリカ軍は堺市を空襲都市に選んだ理由を「堺の主要価値は大阪市に近接していて、その工業が大阪市と統合されていることである。また、この都市は大阪の軍需工場の労働者に住宅を提供している。大阪の工場に打撃を与えるために、堺の軍需工場は疎開可能箇所として重要である」(アメリカ軍の作戦任務報告より)としているが、実際は非戦闘員を目標にした無差別爆撃であった。被害は工場より民家に集中した。
現代
戦後の高度経済成長期以降は大阪都市圏の発展・膨張とともに、泉北ニュータウンの開発に代表されるような、大阪市の衛星都市(ベッドタウン)としての側面も兼ね備えるようになった。
なお、堺市の町名には「○丁目」の「目」がつかない。1872年の町名改正で、改正前までは独立していた小さな町を「○○東一丁」や「○○西一丁」などに変更し、「丁」に「町」と同格の意味合いを持たせたことに由来する。以後、周辺の町村を合併し市域に編入したが、町を細分する場合も前例に倣い「丁目」を使っておらず、元々の堺市ではなかった美原区を除く市内全域が「丁」で統一されている。
年表
古代
中世
近世
- 1568年 織田信長が軍用金2万貫を課す。会合衆は拒否するが攻撃され屈服。
- 1570年 織田信長が松井友閑を堺政所に任命(堺奉行の前身)。
- 1586年 石田三成が堺政所になる。
- 1588年 豊臣秀吉が環濠の土居川を埋めさせる。
- 1591年 豊臣秀吉により堺へ追放された千利休が自害。
- 1596年 慶長の大地震で600人以上が死亡。
- 1604年 堺商人が糸割符年寄に任ぜられ、朱印船貿易が許される。
- 1615年 大坂夏の陣で豊臣方の大野治胤による焼き討ちに遭い全焼。
- 1615年 江戸幕府の直轄地となり堺奉行が置かれる。
- 1615年 元和の町割により市街地を北・東・南へ拡張し、土居川再築。
- 1684年 堺最初の地誌『堺鑑』が刊行される。
- 1696年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行の管轄になる。
- 1702年 堺奉行が再び置かれる。
- 1704年 大和川が付け替えられる。
- 1795年 堺港が現在の旧堺港の位置に修築される。
- 1854年 安政南海地震津波で堺港が打撃を受ける。
- 1863年 天誅組が堺港に上陸する。
- 1867年 堺奉行が廃止され、大坂町奉行が堺を管轄。
近代
- 1868年 堺事件が起きる。
- 1868年 堺県を設置する。
- 1870年 鹿児島藩が日本の近代紡績工場第1号となる戎島紡績所を開設。
- 1870年 工部省が鉄道寮堺煉瓦製造所を設立(日本で最初の煉瓦工場)。
- 1873年 日本初の公園となる浜寺公園が開園。
- 1876年 堺県が奈良県を併合する。
- 1876年 南宗寺境内で堺博覧会を開く。
- 1877年 明治天皇が堺に行幸し、熊野小学校などを視察。
- 1877年 大浜灯台が完成。
- 1880年 郡区町村編制法施行により堺区(堺市の前身)が設置される。
- 1881年 堺県が大阪府に併合される。
- 1888年 阪堺鉄道(南海電気鉄道の前身)の難波駅 - 堺駅間開通。
- 1888年 大阪農学校(大阪府立大学の前身)が開校。
- 1889年4月1日 市制施行により堺市へ移行(最初に施行した31市に名を連ねた)。
- 1892年 旧堺奉行所跡に堺市役所ができる。
- 1894年 大鳥郡向井村大字七道を編入。
- 1895年 幕末に築かれた南台場跡が大浜公園として整備される。
- 1895年 堺市章を制定。
- 1897年 南海鉄道(阪堺鉄道が社名変更)の堺駅 - 佐野駅間開通。
- 1898年 高野鉄道(現在の南海高野線)の大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間開通。
- 1900年 高野鉄道の道頓堀駅(現在の汐見橋駅) - 大小路駅間開通。
- 1903年 大浜公園が第5回内国勧業博覧会の第2会場となる(第1会場は天王寺公園)。
- 1903年 大浜公園内に堺水族館が開館。
- 1905年 日露戦争に伴い、浜寺にロシア帝国軍兵士の俘虜収容施設ができる。
- 1906年 浜寺海水浴場が開場する。
- 1907年 南海鉄道の浜寺駅(当時)駅舎が完成(後に東京駅を設計した辰野金吾博士による)。
- 1910年 天王貯水池と浅香山浄水場が造られ、上水道が整備される(全国で18番目、大阪府では大阪市に次いで2番目)。
- 1911年 阪堺電気軌道の恵美須町駅 - 浜寺駅間と大浜支線宿院 - 大浜海岸間開通。
- 1913年 大浜公会堂内に大浜潮湯が開業。
- 1916年 堺市立図書館(旧館)が開館。
- 1920年 大阪市北区野崎町にあった堀川監獄(現在の扇町公園)が堺市に移転、大阪刑務所となる。
- 1920年 泉北郡向井町・湊町を編入。
- 1920年 第1回国勢調査(堺市の人口は8万4995人)。
- 1922年 堺(大浜海岸) - 徳島(小松島市横須海岸)間に日本初の民間定期航空便が就航。
- 1923年 堺市公民病院(現在の堺市立総合医療センター)が開院。
- 1925年 泉北郡舳松村を編入。
- 1926年 泉北郡三宝村を編入。
- 1927年 阪堺大橋が完成する(大和川の架橋は大和橋以来220年ぶり)。
- 1929年 阪和電鉄(現在のJR阪和線)の天王寺駅 - 和泉府中駅間開通。
- 1930年 遠里小野橋が架設される。
- 1931年 全国初の市史となる『堺市史』が完成。
- 1931年 阪堺電鉄の芦原橋駅 - 浜寺駅間開通。
- 1932年 陸軍第4師団の騎兵隊兵舎(現在の長尾中学校)、輜重隊兵舎・陸軍病院(現在の国立病院機構近畿中央呼吸器センター)、練兵場(現在の金岡公園・近畿管区警察学校)が大阪市東区山小橋町・法円坂町から金岡村(当時)へ移転。以後、通称金岡連隊基地として大阪南部の軍事拠点となる。
- 同年、昭和天皇が陸軍特別大演習のため堺に行幸し、堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を視察する(「三国ヶ丘御幸通」の地名はこの行幸に由来)[11]。
- 1932年 大美野田園都市が町開き。
- 1934年 室戸台風が堺市を直撃。300人超の死者が出る。
- 1935年 『堺市歌』(初代)を制定。
- 1936年 南海鉄道が創業50周年事業として中百舌鳥総合運動公園を開設。
- 1937年 大和川大橋が架設される。
- 1938年 泉北郡神石村・五箇荘村・百舌鳥村・南河内郡金岡村を編入。
- 1938年 光明池(人工の灌漑貯水池)が完成。
- 1939年 大阪帝国大学(当時)産業科学研究所が浅香山に設立される。
- 1942年 泉北郡浜寺町・鳳町・踞尾村・八田荘村・深井村・東百舌鳥村を編入。
- 1944年 阪堺電鉄が大阪市に買収され、大阪市電三宝線になる。
- 1944年 堺市役所が堺東に移転する。
- 1945年 近鉄大浜線(当時)宿院 - 大浜海岸間が戦争の激化により休止(正式に廃止となったのは1980年)。
- 1945年7月10日 堺大空襲。死者1800人を超える。堺駅周辺の龍神地区や宿院、大浜公園などに大きな被害が出る。
現代
- 1947年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍に接収される(それぞれ浜寺キャンプ、金岡キャンプとなる)。
- 1948年 堺(鉢ヶ峯)公園墓地ができる。
- 1950年 ジェーン台風が堺市を直撃。
- 1955年 市民運動によって、いたすけ古墳の保存が決まる。
- 1956年 日本初の住宅公団による団地「金岡団地」の入居開始。
- 1956年 浅香山浄水場のツツジの一般公開(通り抜け)が始まる。
- 1957年 南河内郡北八下村(大字河合を除く)を編入。
- 1958年 南河内郡南八下村(西部)・日置荘町を編入。
- 1958年 浜寺公園と金岡連隊基地跡がアメリカ軍から返還。金岡連隊基地跡は金岡公園として整備される。
- 1958年 堺泉北臨海工業地帯の造成開始。
- 1958年 『堺市民の歌』(2代目、現行)を制定。
- 1959年 泉北郡泉ヶ丘町を編入。
- 1960年 向ヶ丘団地の入居開始。最寄り駅として津久野駅が設置される。
- 1961年 八幡製鐵(後の新日鐵住金)堺製鐵所が設立。臨海部の工業化が開始される。
- 1961年 第二室戸台風が堺市を直撃。
- 1961年 泉北郡福泉町を編入。
- 1961年 南海電鉄が「浜寺ヘルスセンター」開設。
- 1961年 与謝野晶子の歌碑が生家跡にできる。
- 1962年 浜寺海水浴場が閉鎖される(堺市内の海水浴場がなくなる)。
- 1962年 南河内郡登美丘町を編入。
- 1963年 堺市民憲章を制定。
- 1963年 浜寺公園プールが完成。
- 1964年 天王貯水池が閉鎖。
- 1965年 堺市民会館が開館。
- 1965年 戦災復興事業が終わる。
- 1966年 泉北ニュータウン着工。
- 1966年 金岡ニュータウン(新金岡団地)が街開き。
- 1966年 土居川の埋め立てが始まる。
- 1967年 米国カリフォルニア州バークリー市と初の姉妹都市提携。
- 1967年 八田荘団地が完成する。
- 1968年 大阪市電三宝線が廃止。大阪市営バスに転換される。
- 1968年 大浜灯台が廃止。
- 1968年 大阪大学産業科学研究所が大阪府茨木市に移転(跡地は住宅公団に売却され浅香山団地に)。
- 1969年 堺港と泉北港が統合され、堺泉北港になる。
- 1970年 阪神高速道路堺線が開通。
- 1971年 泉北高速鉄道線の中百舌鳥駅 - 泉ケ丘駅間開通。
- 1971年 堺市立図書館(現在の中央図書館)が大仙公園に移転。
- 1971年 大仙公園に平和塔が完成。
- 1971年 国立泉北病院が開院(病院移譲により後に近畿大学医学部堺病院、現在は堺咲花病院となる)。
- 1972年 大泉緑地が開園。
- 1972年 泉北ニュータウンに「青少年の町(ヤングタウン)」ができる。
- 1973年 泉北高速鉄道の泉ケ丘駅 - 栂・美木多駅間開通。
- 1974年 堺まつりが始まる。
- 1975年 吾彦大橋が架設される。
- 1975年 堺市民オリンピックが始まる。
- 1976年 第二阪和国道の堺 - 高石間開通。
- 1976年 大阪女子大学が大阪市の帝塚山から移転(現在は大阪府立大学と統合)。
- 1977年 泉北高速鉄道の栂・美木多駅 - 光明池駅間開通。
- 1979年 市制90周年。
- 1980年 堺市博物館が開館。
- 1981年 大阪府立障害者交流促進センター(ファインプラザ大阪)開設。
- 1982年 阪神高速道路湾岸線の南港北 - 三宝間開通。
- 1982年 台風10号が堺市を直撃。大和川が氾濫し、大きな被害が出る。
- 1983年 全国初の政治倫理条例を制定。
- 1983年 中華人民共和国の連雲港市と友好都市提携。
- 1985年 南海本線の大和川駅 - 石津川駅間高架化。
- 1986年 第37回全国植樹祭が大仙公園で開催。
- 1986年 陶器山トンネルが開通。泉北ニュータウンと狭山ニュータウンが繋がる。
- 1987年 地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸。
- 1987年 阪神高速道路湾岸線の三宝 - 出島間開通。
- 1987年 南大阪地域地場産業振興センター(じばしん南大阪、現在の堺市産業振興センター)開設。
- 1989年 市制百周年記念「オランダフェスティバル・ダッハらんど'89大阪」開催。
- 1989年 阪和自動車道の松原JCT - 美原北IC 間開通。
- 1991年 阪和自動車道の美原北IC - 堺IC間開通。
- 1991年 堺泉北有料道路の供用開始。
- 1993年 阪和自動車道の堺IC - 岸和田和泉IC間開通。
- 1993年 阪神高速道路湾岸線の出島 - 助松間開通。
- 1994年 ニュージーランドのウェリントン市と姉妹都市提携。
- 1995年 さかいハートフルランドが始まる。
- 1996年 中核市へ移行。
- 1996年 堺市の小学校等 92 校で病原性大腸菌(O157)による集団食中毒である堺市学童集団下痢症が発生[12]。
- 1996年 市立堺病院が移転、新装開院。
- 1998年 南海本線の浜寺公園駅と諏訪ノ森駅が、国の登録有形文化財に登録される。
- 1999年 第23回全国育樹祭が大仙公園と蜻蛉池公園(大阪府岸和田市)で開催。
- 1999年 大型児童館「ビッグバン」開館。
- 2000年 「世界民族芸能祭」が堺旧港と大仙公園で開催。
- 2000年 龍女神像(乙姫像)が旧堺港小波止(北波止)に復元。
- 2001年 国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)開設。
- 2001年 「ヤングタウン」が閉鎖。
- 2004年 南阪奈道路の供用開始。
- 2004年 さかい新事業創造センター開設。
- 2005年2月1日 南河内郡美原町を編入。
- 2006年4月1日 政令指定都市移行、区制施行。
- 2009年10月1日 世界最大級のシャープ堺工場が操業。
- 2010年4月1日 堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)オープン。
- 2014年3月31日 堺市民会館が老朽化により閉館する。
- 2015年7月1日 市立堺病院が移転し、堺市立総合医療センターとなる。
- 2019年7月6日 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される(大阪府内で初の世界遺産)。
- 2019年10月1日 閉館した堺市民会館跡地に堺市民芸術文化ホールが開館。
行政
市長
歴代市長
中百舌鳥副都心計画
1982年に発表された大阪府の総合計画で、豊中市の千里中央、東大阪市の荒本とともに、堺市の中百舌鳥が「大阪府の新都心」として位置付けられることになった。1983年には堺市も総合計画を発表し、中百舌鳥を「堺市の副都心」として位置付けた。ちょうど中百舌鳥にあった日本ピローブロック製造の本社工場が美原町(当時)に移転することになり、その跡地に大規模商業施設を誘致することも計画に盛り込まれた。同時に堺市役所の本庁機能の中百舌鳥移転も計画されたが、現本庁のある堺東駅周辺の商店会などから、同駅周辺の経済が地盤沈下することを理由に強い反対を受けて頓挫している。1987年4月に地下鉄御堂筋線が中百舌鳥まで延伸されたことを機に区画整理事業が始まった。大規模商業施設への出店を募ったところ、そごう、西武百貨店、阪急百貨店などが入札に参加した。設計競技段階では西武が落札したが、駅周辺の土地を先行取得していたそごうが西武への土地提供を拒否。「そごう所有地」の看板を掲げて、西武と縄張り争いのようになった。一方、堺市はなかなか進まない事業を後押しするため1991年、「第三次堺市総合計画」で改めて中百舌鳥を新都心として位置付けるなど事態の収拾に乗り出したが、1992年に西武は「業績悪化」を理由に中百舌鳥進出を断念。事業からの撤退を表明した。バブル崩壊により、そごうも1993年、中百舌鳥からの撤退を表明。再開発事業は失敗に終わった。その後、西武とそごうは「ミレニアムリテイリンググループ」(→そごう・西武)として経営統合され、現在に至る。これらの経緯から、近年まで中百舌鳥駅北側は更地が多かったが、2002年になって駅前にロータリーが完成した。大規模計画が全て頓挫したことによって、駅周辺には無秩序にマンションや商業ビルが林立している。
都市再生緊急整備地域
都市再生緊急整備地域は都市再生の拠点として国が定めたもので、都市開発事業などを通じて重点的に市街地整備を推進すべき地域とされている。堺市内では以下の3地域が指定されている。
- 堺臨海地域
- 新日本製鐵堺製鐵所の高炉休止・事業所縮小(1990年)によって生じた遊休地を開発する計画。堺市は「臨海新都心」(愛称「堺浜」)と位置づけ、マリーナ、海とのふれあい広場、干潟などを整備している。2006年3月21日に「堺浜シーサイドステージ」の第1期工事が完成。シネコンなどを備えた大型複合施設(堺浜えんため館)も同年4月15日に開業した。また、2010年には天然芝のサッカーグランドやクラブハウス、宿泊施設を備えた西日本初のサッカー・ナショナルトレーニングセンター「J-GREEN堺」が完成した。将来的にはLRTの乗り入れも検討されており、堺製鐵所の敷地内には「トランスロール」堺浜試験線が引かれている。なお、新日本製鐵は当初、堺製鐵所の遊休地にアメリカのユニバーサルスタジオを誘致することでユニバーサル社と話を進めていた。かねてより日本進出を目論んでいたユニバーサル社と北九州市のスペースワールドを開業したノウハウを持つ新日本製鐵の思惑が合致したためだが、交通の便の悪さを理由に合意が得られなかった。
- 堺東駅西地域
- 大きく3地区の開発計画がある。(1)裁判所庁舎の建て替え工事など官庁街の整備、(2)銀座商店街南側に市民ホールなどを備えた再開発ビル建設、(3)(西地域ではないが)駅東側の車庫跡に高層マンション建設、である。このうち、(3)は完成、(1)も一部が完成している。堺地方合同庁舎も2013年10月に竣工している。堺東駅前はジョルノが1981年に開業して以来、市役所を除いてほとんど変化がない。むしろ寂れる一方で、1990年代にはスーパーマーケット(長崎屋・イズミヤ・ニチイ)の撤退が相次いだ。堺市の玄関駅でもあり、最も開発が急がれている地域である。
- 鳳駅南地域
- 東急車輛工場跡地に、高層マンションとシネコンなどが入った大型複合商業施設「アリオ鳳」(イトーヨーカドーが中核)が2008年に開業した。鳳駅は阪和線でも重要な駅の一つにもかかわらず「駅前」と呼べるものがなく、周辺道路も幅が狭いうえ歩道もなく不便であったが、2019年に駅前の土地区画整備事業と道路(鳳上線)が整備され、駅前にバスターミナル兼交通広場が完成しバス(南海バス)が乗り入れを開始した。
議会
行政区施行に伴い、堺市議会(定数52、法令定数より4人少ない)および大阪府議会の旧堺市選挙区(定数10)は、以下のように分割された。その後、市議会は定数を48に、府議会は堺市域の定数を8にそれぞれ削減された。また各区の人口増減などにより定数の見直しが行われている。
市議会[14] | 府議会[15] | 備考 | |
---|---|---|---|
堺区 | 9 | 2 | 市議会・府議会ともには2015年の選挙より8と1に削減されたが、2019年の選挙より再び9と2に戻された。 |
中区 | 8→7 | 1 | 市議会は2015年の選挙より削減された |
東区 | 5 | ½ | |
西区 | 8 | 2→1 | 府議会は2015年の選挙より削減された。 |
南区 | 10→8 | 2→1 | 市議会は2015年の選挙より9に、2019年の選挙より8に削減された。府議会は2019年の選挙より削減された。 |
北区 | 9 | 2 | |
美原区 | 3→2 | ½ | 市議会は2015年の選挙より削減された。 |
½: 東区と美原区(合区)で定数1
市議会
- 市会
府議会
- 定数:6名
- 任期:2023年(令和5年)4月30日~2027年(令和5年)4月29日
衆議院
- 任期:2021年(令和3年)10月31日〜2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙」参照)
市町村合併・政令指定都市への移行
2005年(平成17年)2月1日に東隣の美原町を編入合併した[16]。この編入合併によって政令指定都市の実質上の要件である80万人を超えたため、2006年4月1日に大阪府内では2番目の政令指定都市へ移行した[17]。
なお、隣接する高石市や大阪狭山市との合併も検討していたが、2003年(平成15年)に高石市で合併の是非を問う住民投票が行われ、反対多数により堺市との合併問題研究協議会は解散。大阪狭山市では合併協議会設置が市議会で否決された。しかし、合併はならなかったが、高石・大阪狭山両市とは消防事業は共同で行っており[注 3]、また、大阪狭山市内には堺市の飛び地が存在する。
複数の政令指定都市が存在する都道府県は、これまでにも神奈川県(横浜市、川崎市、後に相模原市)、福岡県(福岡市、北九州市)の2つしかなく、堺市の政令指定都市移行により、全国3府県目の事例となった。その後、静岡県(静岡市、浜松市)も加わり現在は4府県となっている。また、都道府県内の人口占有率が1割に満たない初めての例であり、2010年4月に移行した相模原市が2例目となる。
政令指定都市への道のり
1960年代前半まで
- 1956年 政令指定都市制度が施行。
- 1961年 河盛安之介市長が、臨海工業地帯の造成と泉北丘陵の開発を柱とする「100万都市構想」を発表(事実上の政令指定都市昇格目標宣言)。
- 1963年 人口が40万人を超える。
1960年代後半(合併で移行めざす)
- 1966年 和泉市の横田礒治市長が、5市合併で政令指定都市になった北九州市を手本にした「泉北合併都市構想」を発表。堺市・泉大津市・和泉市と高石町(当時)・忠岡町の3市2町の大合併で政令指定都市移行を目指す。大阪府も合併を勧告。
- 1966年 河盛市長が合併構想を受け、泉北3市2町に加え松原市・羽曳野市・富田林市・河内長野市・美陵町(当時)・狭山町(同)・美原町(同)を含めた「広域都市構想」を発表。
- 1966年 堺市・泉大津市・和泉市の3市議会が合併案を議決。3市による合併協議会が設立(高石町は単独市制施行の道を選び、忠岡町は合併の利点がないとして加わらず)され、3市長も合併協定書に調印。
- 1966年 泉大津市の久保泰雅市長(社会党)と市議6人が合併汚職で摘発。
- 1967年 泉大津市の久保市長が辞任。その後行われた市長選で、合併反対派の茶谷徳松が当選。
- 1967年 泉大津市・和泉市で合併反対運動が激化。大阪府が合併不認可を表明し、3市合併は白紙に。
- 1967年 人口が50万人を超える。
1970年代前半(合併白紙の余波)
- 1971年 河盛市長が引退。民社党などが推した土師半六が市長に当選。
- 1972年 人口が60万人を超える。
- 1972年 土師市長、浪速医科大学(仮称、不認可)誘致にからんだ汚職事件で逮捕。出直し選挙で我堂武夫が市長に当選。
- 1974年 人口が70万人を超える。
1970年代後半 - 1980年代(合併せず単独で移行めざす)
- 1976年 堺市が庁舎問題等審議会を設置。
- 1976年 我堂市長が政令指定都市昇格を正式に表明。
- 1983年 人口が80万人を超える。
- 1983年 堺市が指定都市準備室を設置。
- 1983年 堺市議会が指定都市問題対策特別委員会を設置。
- 1983年 仙台市・千葉市・堺市の3市で「事務連絡協議会」設立。3市揃っての政令指定都市移行を目指す。
- 1984年 田中和夫が市長に当選。
- 1986年 人口が81万9000人となり過去最高を記録。以後減少に転じる。
- 1989年 田中市長が急死。幡谷豪男が市長に当選。
1990年代前半(支所制度の導入)
- 1991年 市内を6地区に分割した支所制度を導入。支所区域名称選定委員会が「堺・中・東・西・南・北」を選定。
- 1991年 堺市役所高層館が完成。
- 1992年 東百舌鳥出張所(大野芝町)、深井出張所(深井中町)、八田荘出張所(八田寺町)、泉ヶ丘出張所(東山)を廃止して、中支所(深井沢町)が開所(実質的に深井出張所が中支所に昇格)。
- 1993年 堺商工会議所が堺市指定都市問題懇話会設立。
- 1993年 堺市が東京事務所を開設。
- 1994年 堺市が指定都市対策室を設置。
- 1995年 上神谷出張所(片蔵)、美木多出張所(美木多上)、泉北ニュータウン東出張所(茶山台)、泉北ニュータウン中出張所(原山台)、泉北ニュータウン西出張所(鴨谷台)を廃止して、南支所(桃山台)が開所(実質的に泉北ニュータウン中出張所が南支所に昇格)。
- 1995年 堺市・美原町広域行政課題連絡協議会設置。
1990年代後半(中核市へ移行)
- 1996年 中核市制度施行。中核市へ移行した12市(宇都宮市、新潟市、富山市、金沢市、岐阜市、静岡市、浜松市、堺市、姫路市、岡山市、熊本市、鹿児島市)のうち、堺市は最大の人口を擁する都市として、「第1回中核市サミット」の開催地に選ばれる。
- 1996年 堺市指定都市問題懇話会が改組され、堺市指定都市推進協議会を設立。
- 1996年 浜寺出張所(浜寺諏訪森町中)、鳳出張所(鳳東町)、津久野出張所(津久野町)、福泉出張所(草部)を廃止して、西支所(鳳東町)が開所(実質的に鳳出張所が西支所に昇格)。
- 1997年 人口が80万人を割る。
- 1997年 南八下出張所(菩提町)、日置荘出張所(日置荘西町)、登美丘出張所(大美野)を廃止して、東支所(日置荘原寺町)が開所(実質的に日置荘出張所が東支所に昇格)。
- 2000年 五箇荘出張所(新堀町)、金岡出張所(金岡町)、百舌鳥出張所(百舌鳥赤畑町)、北八下出張所(中村町)、新金岡出張所(新金岡町)を廃止して、北支所(新金岡町)が開所(実質的に新金岡出張所が北支所に昇格)。
- 2000年 神石出張所(石津町)を廃止して、堺市役所旧本館に堺支所(南瓦町)が開所(実質的に本庁への統合)。6支所体制が完成する。
2001年以降(再び合併で移行めざす)
- 2001年 国の「合併支援プラン」で「2005年3月までに大規模な合併が行われた場合には、政令指定都市の弾力的な指定を検討する」と緩和の方向が打ち出される。
- 2001年 木原敬介が市長に当選。
- 2002年 堺市・高石市合併問題研究協議会を設置。
- 2003年 高石市、大阪狭山市、美原町に合併を申し入れ。
- 2003年 堺市・美原町合併協議会を設置[17]。
- 2003年 高石市長選で合併反対派の阪口伸六が当選。堺市・高石市合併問題研究協議会が解散。
- 2003年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡準備会議」を設置。
- 2004年 堺市役所新庁舎(本館)が完成。堺支所が移転する。
- 2004年 大阪府と堺市が「政令指定都市移行連絡会議」を設置。
- 2005年2月 美原町を編入合併(美原支所設置)[16]。人口が80万人を超える。
- 2005年3月 堺市議会が「堺市の政令指定都市の実現に関する意見書」を可決。
- 2005年5月 大阪府と「事務移譲等に関する確認書」を締結。
- 2005年5月 大阪府議会が「堺市の政令指定都市の指定に関する意見書」を可決。
- 2005年10月 政令指定都市移行が閣議決定。
- 2005年12月 区名が正式決定。
- 2006年4月 政令指定都市移行・区制(堺区・中区・東区・西区・南区・北区・美原区)施行[17]。
法務省
- 大阪地方検察庁堺支部
財務省
- 大阪国税局堺税務署
国土交通省
裁判所
警察
- 本部
- 警察署
消防
- 消防署
- 堺消防署
- 中消防署
- 東消防署
- 西消防署
- 南消防署
- 北消防署
- 美原消防署
医療
- 主な医療施設
- 堺市立総合医療センター
- 堺市宿院急病診療センター
- 堺市泉北急病診療センター
- 堺市口腔保健センター
- 大阪労災病院
- 独立行政法人国立病院機構近畿中央胸部疾患センター(旧国立近畿中央病院)
- 堺咲花病院(旧国立泉北病院→旧近畿大学医学部堺病院)
- 浅香山病院
- 耳原総合病院
- 馬場記念病院
- 堺山口病院
- 阪南病院
文化施設
- 博物館など
- 堺市博物館
- M・Cみはら(堺市立みはら歴史博物館)
- 堺市立埋蔵文化財センター
- 堺市立町家歴史館 山口家住宅
- 堺市立町家歴史館 清学院
- さかい利晶の杜
- 千利休茶の湯館
- 与謝野晶子記念館
- 堺市立文化館
- 堺アルフォンス・ミュシャ館
- 堺市立平和と人権資料館
- 堺市立舳松人権歴史館
- シマノ自転車博物館
- 堺刃物伝統産業会館(堺HAMONOミュージアム)
- 堺市立ビッグバン - 2021年4月1日大阪府立大型児童館ビッグバンが大阪府から堺市へ移管し、名称を堺市立ビッグバン に変更(「堺市立ビッグバン条例」2020年10月5日公布)。
- 小谷城郷土館
- 富士フォトギャラリー堺 - 富士フイルムの展示館
- ソフィア・堺(プラネタリウム)
- 堺ヒストリックカーコレクション - 1920年代後半から80年代前半のドイツのBMW製を中心に構成。現在は大阪府泉佐野市のりんくう国際物流センターで常設展示しているが、将来的に「ヒストリックカーミュージアム」の建設構想がある。
- (大阪府立泉北考古資料館、2010年に堺市立泉北すえむら資料館、2016年閉館)
- 堺鉄砲館(私設博物館)[18]。
- ホールその他
- フェニーチェ堺(堺市民芸術文化ホール)
- 栂文化会館
- 中文化会館(ソフィア・堺)
- 西文化会館(ウェスティ)
- 東文化会館(北野田フェスティバル)
- 美原文化会館(アルテベル)
- 堺勤労者総合福祉センター(サンスクエア堺)
- 堺能楽会館
運動施設
- 野球場
- サッカー場
- 堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター - サッカーフィールド14面、フットサルフィールド8面、クラブハウスなどの施設を有する日本最大規模のサッカートレーニング施設。ラグビーやアメリカンフットボールなどの利用も可能。
- 陸上競技場
- 金岡公園陸上競技場 - 金岡公園内。収容人員15,000人。もとは陸軍(戦後はアメリカ軍)の練兵場であった。1989年に改修工事を行い、メインスタンドを併設した全天候型トラックに生まれ変わった。日本陸連の第2種公認競技場として各種競技会で使用されている。現在、大阪府内で第2種陸上競技場として公認を受けているのは、金岡公園陸上競技場のほかは、枚方市立陸上競技場と吹田市立総合運動場のみである。
- 中百舌鳥総合運動場 - 1936年に南海鉄道が開設した「中百舌鳥総合運動公園」内にあった。1964年に長居陸上競技場ができるまでは、大阪府唯一の第1種公認競技場で、堺市のほか大阪市や泉北地区の各種競技会の会場になった。陸上競技の全国大会が開催されたこともある。長居陸上競技場完成後は整備もされないまま放置され、1970年に住宅公団に売却された。跡地に建つ中百舌鳥公園団地の「公園」の文字が当時を物語る。
- 体育館
- プール
- 室内温水プール
- のびやか健康館(温水プールを併設)
- 美原総合スポーツセンター(温水プール)
- 堺市立福祉健康プラザ(温水プール)
- ゴルフ場
- 堺カントリークラブ
- 泉ヶ丘カントリークラブ
- 天野山カントリークラブ(一部河内長野市)
- その他
- 堺カートランド