きみまち阪周辺の戦い
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きみまち阪周辺の戦い(きみまちざかしゅうへんのたたかい)は、戊辰戦争のひとつ秋田戦争で、奥羽越列藩同盟に与した盛岡藩が久保田藩を中心とする新政府軍と交戦した一連の戦いのうち、出羽国山本郡のきみまち阪周辺で行われた戦闘である。なお、きみまち阪(徯后阪)という名前は、1881年(明治14年)に同地を訪れた明治天皇により、翌1882年(明治15年)に命名されたものであり、当時はきみまち阪という名前はなかった。
盛岡藩は大館城を攻略し、連戦連勝で久保田藩領を進軍していたが、この地区の戦いで初めて敗北した。