なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
哲学の一分野である形而上学の領域で議論される問題の一つ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英: Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は、哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形として、
- 「なぜ宇宙(または世界)があるのか?(Why is there a universe(world)?)」
- 「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」
- 「なぜそもそも何かが存在するのか?(Why there is anything at all?)」
などと問われる場合もある[注釈 2]。
物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問い(The Ultimate Why Question)」、またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれる[1]。解答することが著しく困難であることから「存在の謎」(The riddle of existence)とも言われる[2]。存在に関する問いであることから「存在への問い(The question of being)」とも言う。哲学者たちはこの問いを、あらゆる問いの中でもっとも根源的な問い・第一の問いであるとしばしば言う。同時に混乱を呼ぶ悪名高き問い、解答不可能な奇問、愚かな問い、問うてはいけない問い、また問うことが危険な問いである[3][4]、などとも言われる。
存在論のテーマは突き詰めると「何が在るのか」と「なぜ在るのか」の二つの問いに収束していくとも言われるが、この問いは後者の「なぜ在るのか」にあたる問いである[5]。”何が”在るのかに関しては、現代の科学である程度答えを出すことができる。
よって”全ての(発生する)命題の起源は、総じてこの謎に帰結する”とも言われる。