アフマド・マンスール・ザハビー
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アフマド・マンスール・ザハビー(ʿaḥmad al-manṣūr al-ḏahabī、1549年[1] – 1603年8月25日[2][3])は、サアド朝モロッコのスルターンの一人。幼少期、父王の暗殺により亡命を余儀なくされ、17年間をオスマン帝国の庇護の下に暮らした(#生い立ち)。1578年にスルターン位を兄から継承してから1603年に亡くなるまで、その地位にあった。サアド朝はマグリブの一地方政権であったが、アフマド・マンスール・ザハビーの政治・軍事的行動は16世紀のヨーロッパ及びアフリカに広く影響を及ぼした。スペインに対抗するための同盟を求めてイングランドに大使を派遣した。黄金を求めて西スーダーンに軍事遠征をおこない、ソンガイ帝国を滅ぼした。