アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー
パレスチナの医師 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー(アラビア語: عبدالعزيز الرنتيسي, ラテン文字転写: Abd al-Azīz al-Rantīsī, 1947年10月23日 - 2004年4月17日)は、パレスチナのイスラム主義組織ハマースの幹部、指導者。
ハマースの軍事部門と政治部門のうち、政治のリーダーであり、創設者アフマド・ヤースィーン殺害後の後継指導者であった。イスラエルに対して同国が国家として存続することを一切承認しない強硬派の中心人物として知られる。日本語では「ランティーシー」とも表記し、報道等では「アブド・アルアジズ・ランティシ」と呼ばれることが多い。