アメリカ独立戦争におけるフランス
アメリカ独立戦争前後のフランス外交の変遷と国内への影響について / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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アメリカ独立戦争におけるフランス(アメリカどくりつせんそうにおけるフランス)では、アメリカ独立戦争前後のフランス外交の変遷と国内への影響について述べる。
フランスはアメリカ独立戦争(1775年 - 1783年)当時財政的に困難な状況にあったが、この戦争をヨーロッパひいては世界におけるフランスの仇敵であるイギリスを弱体化させる機会として捉えた。植民地の独立は大英帝国に重大な損害を与え、翻ってアメリカ合衆国という新しい力を生むことでフランスは良好な同盟関係を維持できると考えていた。
フランスはもともとカナダを失うことになった1763年の屈辱的なパリ条約に対してイギリスに復讐を目論んだとする歴史家もいるが、Dullは1975年に、フランスの干渉は冷静な計算に基づくものであり、単になるイギリス嫌いによるものでも、カナダ喪失の復讐のためでもないとしている。フランスの参戦は、ヨーロッパ大陸におけるフランス外交の絶望的状況を反映していた。独立戦争はフランスにとって悲惨な失敗であり、アメリカの独立はイギリスを弱らせることにはならなかった。サラトガの戦いはフランス参戦のきっかけを作っただけであり、外交方針は既に決していた。同盟に加わったスペイン海軍の存在も軍事的な主導力を維持していくために重要であった。フランスは和平については悲観的であったが、決してアメリカを裏切らなかった。フランス政府は負債のやりくりで悲鳴を上げていたうえに、独立戦争がフランスの政治的また社会的秩序を粉々にする力を解き放つ直接の機会(フランス革命)を提供した。
フランスは1778年に参戦し、イギリスからの独立を求めるアメリカの勝利を助けた(実際には1783年のパリ条約で実現された)。フランスの近代戦力としての位置付けが確認され、復讐の思いも満足されたが、戦争は国の財政には有害であった。フランスの都市は直接の破壊を免れたとしても、1781年のヨークタウン包囲戦のような決定的な勝利を含むイギリス軍に対する戦争は大きな軍費(10億リーブル)を必要とした。これが脆弱だった財政をさらに悪化させ、赤字が増えた。さらに悪いことに、新興のアメリカ合衆国が貿易上の一番の相手国となるという目論見が実現しなかった。イギリスがアメリカ合衆国を主要貿易国としてしまった。戦前のイギリスとアメリカの交易形態がほとんどそのまま残り、アメリカの交易は大英帝国の範囲内に留まっていた。独立戦争にフランスが参戦したということの認識は、主にロシャンボー伯爵やラファイエット侯爵のような軍人の英雄を称えることで示された。アメリカ合衆国内にあったフランスの元の領土(ヌーベルフランス)を取り返せるという望みも叶わなかった。
フランスの国体としての脆弱化と、絶対王政に対する実現可能な代替体制の見通しができてきたこと、これらはアメリカ独立戦争がフランス革命に影響した大きな要因である。