アリドアメリカ
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アリドアメリカ(Aridoamerica)は、メキシコおよびアメリカ合衆国南西部に広がる生態学的地域の名前で、乾燥に強い豆であるテパリービーン (Phaseolus acutifolius) が文化的に重要な主食として存在することによって定義される[1]。その乾燥した気候と地理は、南部および東部に接する緑の多い、現在の中央メキシコから中央アメリカにかけて広がるメソアメリカ[2]、および北部のより温和な「島」をなすオアシスアメリカと対照をなす。アリドアメリカ、メソアメリカ、オアシスアメリカの範囲は互いに重なりあっている[1]。
比較的過酷な条件のため、この地域の先コロンブス期の人々は独特の文化および農業パターンを発達させた。この地域の年間降雨量は120ミリから160ミリに過ぎず、このわずかな雨によって季節的に水がたまる渓流や小池が形成される[3]。
アリドアメリカの語は1985年にアメリカ合衆国の人類学者ゲーリー・ポール・ナバーンによって導入されたが[4]、先行する人類学者であるアルフレッド・L・クローバーおよびパウル・キルヒホフによる砂漠地帯の「真の文化的実体」を同定する研究にもとづいている。キルヒホフは1954年の画期的論文において最初に「乾燥アメリカ」(Arid America)という術語を使用して、「私は採集民のそれに「乾燥アメリカ」または「乾燥アメリカ文化」の名を、農民のそれに「オアシスアメリカ」または「オアシスアメリカ文化」の名を与えることを提案する」と述べた[5]。
メキシコの人類学者ギイェルモ・ボンフィル・バターヤによれば、アリドアメリカとメソアメリカの区別は「植民地以前のメキシコの一般的歴史の理解に有用である」ものの、両者の境界は「2つの根本的に異なる世界を分かつ障害ではなく、気候的地域の可変な境界」と考えるべきである。アリドアメリカの住民は「不安定で変動するフロンティア」に住み、「南方の文明と常につながりを保っていた」[6]。