ザーヒル・ガーズィー
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ザーヒル・ガーズィー(al-Ẓāhir Ġāzī b. Salāḥ al-Dīn、1173年 - 1216年)は、アイユーブ朝のサラーフッディーン(サラディン)の息子で、1186年から亡くなるまで、当時シリア北部の大都市であったアレッポとその後背地を治めた君主(マリク)[1]。サラーフッディーン没後はアイユーブ朝全体に対する自身の影響力が弱まる中、アレッポの勢力圏の確保と拡大に努め、半世紀後のモンゴルによる侵攻期まで続く「アイユーブ朝アレッポ」王国を築いた[1]。アレッポの支配権をめぐって叔父のアーディル・アブー・バクルと確執があったが、のちにその娘ダイファ(英語版)を后として迎え入れ、和解を図った[1]。哲学者のスフラワルディーやイブン・アラビーとの親交でも知られる[2]:162[3]:202。