アントニヌス・ピウス
ローマ皇帝 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ティトゥス・フルウィウス・アエリウス・ハドリアヌス・アントニヌス・アウグストゥス・ピウス(ラテン語: Titus Fulvius Aelius Hadrianus Antoninus Augustus Pius[1][2]、86年9月19日 - 161年3月7日)は、第15代ローマ皇帝で、ネルウァ=アントニヌス朝の第4代皇帝。彼はアウレリウス氏族の出身者として最初の皇帝であり、また皇妃大ファウスティナを通じてネルウァ=アントニヌス朝と外戚関係を持っていた[3]。妻の甥であるマルクス・アウレリウスと娘の小ファウスティナを結婚させた上でアウレリウスを後継者とし、娘と甥の間に生まれた孫コンモドゥスにまで3代に亘る家族間での帝位継承の基盤を作った。
概要 アントニヌス・ピウス Antoninus Pius, 在位 ...
アントニヌス・ピウス Antoninus Pius | |
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ローマ皇帝 | |
アントニヌス・ピウス胸像 | |
在位 | 138年7月11日 - 161年3月7日 |
全名 |
ティトゥス・アウレリウス・フルウィウス・ボイオニウス・アリウス・アントニヌス(出生時) Titus Aurelius Fulvus Boionius Arrius Antoninus ティトゥス・アエリウス・カエサル・アントニヌス(副帝時) Titus Aelius Caesar Antoninus カエサル・ティトゥス・アエリウス・ハドリアヌス・アントニヌス・アウグストゥス・ピウス(即位時) Caesar Titus Aelius Hadrianus Antoninus Augustus Pius |
出生 |
86年9月19日 ラウィニウム(イタリア本土) |
死去 |
161年3月7日(74歳没) ロリウム(イタリア本土) |
継承 |
マルクス・アウレリウス(妻の甥、娘婿) ルキウス・ウェルス |
配偶者 | 大ファウスティナ |
子女 | 小ファウスティナ(次女) |
王朝 | ネルウァ=アントニヌス朝 |
父親 | ティトゥス・アウレリウス・フルウィウス |
母親 |
アリア・ファディラ Arria Fadilla |
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こうした点から一部の歴史学者は、王朝の支配権がトラヤヌスの王統から外戚であるアントニヌスの一族へと移動したと見なし、祖父アントニヌスから孫コンモドゥスまでの3代をアントニヌス朝と別称している。
「アントニヌス・ピウス」(Antoninus Pius、慈悲深きアントニヌス)の名で知られるが、これは先帝ハドリアヌスが元老院から憎まれていたにもかかわらず、神として祭るように奔走したことが美談として受け取られたことに由来する[4]。しかし『ローマ皇帝群像』はハドリアヌス帝によって処刑されることになっていた人々を救ったためであると主張している[5]。