アンナ・マリア・ファン・シュルマン
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アンナ・マリア・ファン・シュルマン(Anna Maria von Schürmann, 1607年11月5日 - 1678年5月4日)は、ドイツ生まれのオランダの画家、版画家、詩人、哲学者。17世紀当時の女性としては非常に高い教育を受け、芸術、音楽、文学の分野で秀でており、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、シリア語、アラム語、エチオピア語を含む14カ国語を解した。語学の天才としてヨーロッパ中にその名を知られ、「ユトレヒトの星」と称された[1]。ルネサンス最末期の女性教養人、女性が教育を受ける権利の擁護者として名声を築いた [2]。