イェフダー・アルカライ
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イェフダー(ユダ)・ベン・ソロモン・ハイ・アルカライ(יהודה שלמה אלקלעי (Yәhudhah ben Šәlomoh Alqala‘i), Judah ben Solomon Chai Alkalai, 1798年 オスマン帝国領サラエヴォ - 1878年10月 エルサレム)はバルカン半島とイスラエルの地で活動したラビで、シオニズムの先駆者の一人である。
シオニズム運動の歴史の中で先駆者というと、モーゼス・ヘス、ツヴィ・カリシャーなどと言われる場合が多いが、これは本格的なシオニズムがアシュケナジム社会の中の政治的な運動として始まった、などと語られることが多いためである(アシュケナジム・セファルディムとは、シナゴーグ・生活面での宗教的伝統、言語的な違いなどによる呼称であって、そういう民族がいるわけではない)。
しかしセファルディム社会出身のアルカライの考え方も先駆のひとつである。しかし、このような視点を初めて大きく提示したのはラビ・歴史家のアーサー・ハーツバーグであった。
エルサレムで少年時代を過ごし、カバラー主義者の強い影響を受ける。1825年(27歳)、ベオグラードの対岸にあるハンガリー王国のセレーム県県都ジモニ(ゼムン、ゼムリン)のセファルディム系ユダヤ教徒コミュニティの首席ラビになる(ちなみに、1826年アッケルマン条約によってセルビアの自治が認められ、1828年~1829年の第一次バルカン戦争によってセルビアが独立する)。
彼の活動した時代は、バルカン半島の諸民族がオスマン帝国からの独立を目指して戦っていた時期であり、バルカン半島はナショナリズムの時代に入っていた。そのような政治的状況下で、彼やセファルディム・ロマニオットのユダヤ教徒社会は「ナショナリズム」という新思想の影響と無縁であるはずがなかった。
1874年にエルサレムに帰還し、その地に永住・逝去。