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イギリス領リーワード諸島(イギリスりょうリーワードしょとう、英語: British Leeward Islands)とは1671年から1958年まで存在したイギリスの植民地で、リーワード諸島に存在するイングランド(後にイギリス)の海外領土を含んでいた。植民地は1816年から1833年にかけて2つの植民地(アンティグア・バーブーダ・モントセラトおよびセントクリストファー・ネイビス・アンギラ・ヴァージン諸島)に分裂していた。1958年にヴァージン諸島が分離し、残った島々が西インド連邦を形成することで解体された。
リーワード諸島は1671年にイングランドの植民地となった。1816年、諸島はアンティグア・バーブーダ・モントセラトおよびセントクリストファー・ネイビス・アンギラ・ヴァージン諸島という2つの植民地に分割された。
リーワード諸島は1833年に半連邦制として再統合され、1872年までアンティグア総督の行政下に置かれた。1872年から1956年まで諸島はリーワード諸島連邦植民地(英語: Federal Colony of the Leeward Islands)として知られた。1833年から1940年にイギリス領ウィンドワード諸島に移管されるまでドミニカは当植民地の一部だった[1] 。
1958年1月3日、ヴァージン諸島を除いた島々は西インド連邦に吸収された。イギリス領リーワード諸島は最終的に1960年の総督職廃止およびイギリス領ヴァージン諸島の直轄植民地昇格をもって廃止された[2][3]。
代表チームのクリケットリーワード諸島代表は西インド諸島で活動を続けている。
植民地の軍事はセントクリストファー・ネイビス、モントセラト、アンティグア、ドミニカおよびイギリス領ヴァージン諸島の組織を含んでいた[4]。
リーワード諸島の島々は1890年から1956年7月1日まで「LEEWARD ISLANDS」と記された郵便切手を(しばしば植民地名の入った郵便切手と共に)用いていた。1882年から1930年代まで収入印紙も発行されていた。
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