ウィンブルドン号事件
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ウィンブルドン号事件(ウィンブルドンごうじけん、フランス語:Affaire du vapeur Wimbledon、英語:Case of the S.S. Wimbledon)は、フランスが傭船したイギリス船籍のウィンブルドン号がドイツ領内のキール運河を航行しようとしたところ1921年3月21日にドイツがこれを拒否したことを巡って、イギリス、イタリア、日本、フランスが共同原告となってドイツを常設国際司法裁判所(PCIJ)に提訴した、国際紛争である[1]。PCIJは航行拒否が違法なものであったとして1923年8月17日にドイツに対し損害賠償を命じる判決を下している[1]。