ウグラ河畔の対峙
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ウグラ河畔の対峙(ウグラかはんのたいじ)は、1480年にウグラ川のほとりで行われた、大オルダのアフマド・ハン軍とモスクワ大公国のイヴァン3世軍による対陣。アフマド・ハンがモスクワ軍を破ることを諦め、退却したことで終結した。
概要 ウグラ河畔の対峙, 交戦勢力 ...
ウグラ河畔の対峙 | |
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ルーシ年代記の細密画 | |
戦争:テュルク・モンゴル支配下東欧における紛争(英語版) | |
年月日:1480年10月8日-11月28日 | |
場所:ウグラ川 | |
結果:アフマド軍がモスクワへの侵攻を断念 | |
交戦勢力 | |
ジョチ・ウルス(大オルダ) | モスクワ大公国 |
指導者・指揮官 | |
アフマド・ハン | イヴァン3世 イヴァン・マラドイ(小イヴァン) ウグリチ公アンドレイ |
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この対陣を経てロシアとモンゴルの関係が劇的に変化したわけではないが、ながらくロシアに対して軍事的優位にあったモンゴル軍が正面衝突を避けて退却したことから、ロシアの歴史観ではタタール人(=モンゴル人)によるルーシ支配の終焉を象徴する事件と位置づけられている。