エドマンド殉教王
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「エドワード殉教王」とは別人です。 |
エドマンド殉教王(英語: Edmund the Martyr, 841年 - 869年11月20日)はイースト・アングリアの王であった殉教者。855年にイースト・アングリアの王位を継いだ。最初期の、もっとも信頼できる史料においてエドマンドは先のイースト・アングリア王であるWuffingの家系の子孫であるとしており、別の史料では彼の父親はイースト・アングリア王エセルワード (en:Æthelweard of East Anglia) であるとする。ウェルズのジェフリー (en) は、彼をサクソン人の王であるアルクムンド (Alcmund) の末子であると主張する。エドマンドは855年のクリスマスにエルムハム司教 (Bishop of Elmham) のハンベルタス (en) によって戴冠させられたといわれていた。
概要 聖エドマンド殉教王 St Edmund the Martyr, 在位 ...
聖エドマンド殉教王 St Edmund the Martyr | |
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イースト・アングリア王 | |
ウィルトンの二連祭壇画からの細部画像 | |
在位 | 855年12月25日 - 869年11月20日 |
出生 |
841年 ニュルンベルク (伝説) |
死去 |
869年11月20日 史的:サフォーク州ホクスン、可能性:ケンブリッジシャーDernford |
埋葬 | ベリー・セント・エドマンズ |
オズワルドもしくは/および エセルレッド2世 | |
父親 | アルクムンド (伝説)、エセルワード |
母親 | Siwara (伝説) |
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概要 エドマンド殉教王, 殉教王 ...
エドマンド殉教王 | |
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殉教王 | |
他言語表記 | King and Martyr |
崇敬する教派 | 正教会、ローマ・カトリック、聖公会 |
記念日 | 11月20日 |
象徴 | 王としての戴冠と衣装。剣もしくは矢、オーブ、錫を持つ。 |
守護対象 | ドゥエ・アビー (Douai Abbey)、王、はやり病、拷問の犠牲者、ローマカトリックのイーストアングリア司教区、サフォーク州、トゥールーズ、オオカミ |
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869年にエドマンドは大異教徒軍 (en:Great Heathen Army) との戦いで敗北し捕らえられ、拷問の末に殺され殉教者となった。彼は正教会、ローマ・カトリック、そして聖公会において列聖されている。王の身体は最終的にBeadoriceworth (現ベリーセントエドマンズen:Bury St Edmunds) に埋葬され、彼の墓への巡礼は12世紀に入って修道士たちによって教会が拡張されるとより活発になった。アングロ・ノルマン貴族らのエドマンドに対する人気は、ノルマン朝はそれ以前の伝統と連続性があるという主張を正当化するのを助けていた。エドマンドの紋章旗はアジャンクールの戦いにおいて掲げられた。