カトリック連盟
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カトリック連盟(ドイツ語: Katholische Liga、リーガ)は、神聖ローマ帝国において、1609年7月10日にプロテスタント同盟(1608年結成、ウニオン、ウニオーン)に対抗し、『カトリック信仰の防衛と帝国の平和』を旗頭に結成されたカトリック系領邦国家による同盟。フランスにおけるカトリック同盟に範をとったが、同同盟ほどに剛直ではなく、当初はプロテスタント同盟の政治的対抗組織として活動した。
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カトリック連盟 Katholische Liga | |
カトリック諸国の防衛同盟 | |
場所 | 神聖ローマ帝国 |
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構成者 | バイエルン公国(選帝侯) マインツ大司教領(選帝侯) |
対抗者 | プロテスタント同盟 フリードリヒ5世, プファルツ選帝侯 |
指導者 | バイエルン公 (マクシミリアン1世, 1609–35) マインツ大司教 (ヨハン・シュヴァイクハルト・フォン・クロンベルク, 1609–26; ゲオルク・フリードリヒ・フォン・グライフェンクラウ, 1626–29; アンゼルム・カジミール・ヴァンボルト・フォン・ウムシュタット, 1629–35) |
指揮官 | ティリー伯ヨハン・セルクラエス, 1610–32 |
結成 | 1609年7月10日: ミュンヘン帝国議会 |
解散 | 1635年3月30日: プラハ条約 |
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しかしながら、住民レベルにおけるカトリック・プロテスタント両教徒の対立が高まるようになり、遂には、1618年5月23日プラハ窓外投擲事件が発生、両者の対立は頂点を迎え、三十年戦争の第一段階であるボヘミア・プファルツ戦争へと至る。