キップス湾の上陸戦
ウィキペディア フリーな encyclopedia
キップス湾の上陸戦(英: Landing at Kip's Bay)は、アメリカ独立戦争中の1776年9月15日に、現在のニューヨーク市マンハッタン東海岸で行われたイギリス軍の上陸戦である。イギリス軍はニューヨーク占領のために大陸軍を8月下旬のロングアイランドの戦いで破り、マンハッタン島に後退した大陸軍を追ってイースト川を渡る必要があった。
概要 キップス湾の上陸戦, 交戦勢力 ...
キップス湾の上陸戦 | |
---|---|
戦争:アメリカ独立戦争 | |
年月日:1776年9月15日 | |
場所:ニューヨーク市マンハッタン島キップス湾 | |
結果:イギリス軍の上陸成功[1] | |
交戦勢力 | |
大陸軍 | グレートブリテン ヘッセン=カッセル |
指導者・指揮官 | |
ジョージ・ワシントン | ヘンリー・クリントン リチャード・ハウ |
戦力 | |
500[2] | 4,000[3] |
損害 | |
戦死:50 捕虜320[4] |
戦死または負傷:12[5] |
| |
閉じる
イースト川に浮かぶイギリス海軍艦隊から事前の激しい艦砲射撃があり、上陸点を守っていた経験の足りないアメリカ側民兵は逃亡し、イギリス軍がキップス湾で抵抗もなく上陸することが可能になった。上陸後に行われた小競り合いにより、イギリス軍はアメリカ民兵の幾らかを捕まえた。上陸に続くイギリス軍の操軍によって、島の南東部に駐屯していた大陸軍部隊の逃亡路も危うく遮断されるところだった。この大陸軍部隊の脱出があまりに急速だったので、彼等を鼓舞しようとしていた大陸軍総司令官ジョージ・ワシントンはイギリス軍との前線に取り残されるような状態にまでなった。
この作戦はイギリス軍の決定的な成功であり、大陸軍はマンハッタン島のハーレムハイツまで後退を強いられ、島の南半分だったニューヨーク市はイギリス軍の支配下に入った。しかし、翌日に行われたハーレムハイツの戦いでは大陸軍が勝利した。