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キム・ウィロビー(Kim Marie Willoughby、女性、1980年11月7日 - )は、アメリカ合衆国のバレーボール選手。2007年からイタリアのセリエA・Familia Chieriでプロ選手となり、2008年4月にアメリカ合衆国代表入り[1]。同年夏の北京オリンピックでは銀メダルに輝いた。シリオ・ペルージャ在籍中の2008/09シーズンには、欧州チャンピオンズリーグにおいて銅メダリストとなり、自らもベストレシーバー賞に輝いた。
ルイジアナ州テレボーン郡ホウマ生まれで、同州アサンプション郡ナポレオンビル育ち。Assumption高校(英語版)在学時にはバレーボールだけでなく、陸上競技やバスケットボールでも才を発揮した。高校バレーボール部は3年連続でルイジアナ州選手権で優勝し、ウィロビーは年間優秀選手に選出されている。同時に全米高校ベスト6(First Team All-American)にも選出されている。
幼年期に実母が交通事故に遭い下半身不随となった。更なる悲劇が襲う。ボーイフレンドが他人と口論の末、射殺されたのである。後にウィロビーは「あの頃は心が荒んで、よくキレて喧嘩ばかりしていた」と認めている[2]。
同じバレーボール選手で、北京オリンピックアメリカ合衆国代表のチームメイトでもあったダニエル・スコット=アルーダはウィロビーの三従兄弟(又従兄弟の子同士)である[3]。
2006年12月にその事件は起こった。ホノルルカカアコ(英語版)にあるカフェで、ウィロビーがある女性に暴行を加えたと伝えられた。被害者は鼻の骨を折るなどの重傷であった[4]。ウィロビーは正当防衛を主張したが、検察官は認めず、司法取引で50000ドルの保釈金と5年間の保護観察処分となった[4]。
2012年1月、保護観察処分が早期解除されたウィロビーは故郷であるルイジアナ州に戻った[5]。
2009年4月、ウィロビーは試合後の尿検査でナンドロロンの陽性反応が検出された。同年9月11日、イタリアオリンピック委員会は2011年7月10日までの2年間、ウィロビーを出場停止処分に科したと発表した[6]。
出場停止処分が明けプエルトリコで2シーズンプレーした後、2013/14シーズンからアゼルバイジャンのイトゥサチ・バクーに移籍し、ヨーロッパ球界への復帰を果たした[7]。
ハワイ大学在学中にウィロビーはNCAA受賞者に三度選出され、2003年には年間優秀選手に選出されている[8][リンク切れ]。この年、ウィロビーは1試合あたり6.60本のアタックを決め、全米ランキング2位となった。
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