クィントゥス・トゥッリウス・キケロ
ウィキペディア フリーな encyclopedia
クィントゥス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Quintus Tullius Cicero, 紀元前102年以前[1] - 紀元前43年12月[2])は、共和政ローマ後期の政務官。マルクス・トゥッリウス・キケロの弟で、ガリア戦争ではガイウス・ユリウス・カエサルのレガトゥス(副官)の1人を務めた。
概要 クィントゥス・トゥッリウス・キケロ Q. Tullius M. f. M. n. Cicero, 出生 ...
クィントゥス・トゥッリウス・キケロ Q. Tullius M. f. M. n. Cicero | |
---|---|
出生 | 紀元前102年以前 |
生地 | アルピヌム |
死没 | 紀元前43年12月 |
出身階級 | エクィテス |
氏族 | トゥッリウス氏族 |
官職 |
クァエストル(紀元前68年頃) アエディリス・プレビス(紀元前65年) プラエトル・ウルバヌス(紀元前62年) プロコンスル(アシア)(紀元前61年-58年) レガトゥス(ポンペイウス)(紀元前57年-56年) レガトゥス(カエサル)(紀元前54年-52年) レガトゥス(兄キケロ)(紀元前51年-50年) |
担当属州 | アシア |
配偶者 | ポンポニア |
テンプレートを表示 |
閉じる