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第二次世界大戦中の装甲戦闘車輌らしき動力車両 ウィキペディアから
クーゲルパンツァー(独: Kugelpanzer)は、第二次世界大戦中の装甲戦闘車輌らしき動力車両である。「クーゲル(Kugel)」とはドイツ語で「ボール」を意味するので、直訳すると玉戦車となる[1]。
ロシアのクビンカ戦車博物館のドイツ車両コーナーに、比較的保存状態の良い個体が1両だけ収蔵されており、性能や来歴については少なくとも下記の情報が判明している[2][3]。
車輌の両側に側面装甲と一体となった車輪が谷型の傾斜で装備され、車体背後には搭乗口と小型の補助輪つきアームがある。車体保持と旋回はこの補助輪つきアームで行われる一種の三輪自動車である。第一次世界大戦中にドイツで試作された「トレファスワーゲン」と同様の形態である。車体前面の覗き窓の下には塞がれた穴があり、ピストルポートとして機銃等による射撃が可能だったと考えられているが、通信ケーブルを引き出すための穴という説もあり本来の用途は不明である。
※トレファスワーゲン(独: Treffas Wagen)解説・・・1916年、ドイツ陸軍省はマーク I 戦車に対抗する車両の開発を決定し、ブレーメンのハンザ=ロイド社は「ビッグ・ホイール」方式の車両を設計・製造し、1917年2月、試作車が完成した。前輪の直径は3.35m、重量18t、乗員4名。武装は、2挺の対戦車ライフル、もしくは、ベルギー製の57mmノルデンフェルト砲1門とされる。様々な試験の結果、軍首脳部を満足させることが出来ず、量産を勝ち取ったのはA7Vであった。
開発国のドイツでもクーゲルパンツァーに関するデータは残っておらず(クルップ製とする説もあり)、どのような経緯や目的で日本に輸出されたかも不明である。日本側でも特に運用や戦闘、満州に配備された詳細についての記録は残っておらず、鹵獲された時点で戦闘による損傷の類もなかったとされる。
その他に超重戦車マウスと一緒にクンマースドルフの試験場で捕獲された説もある。
装甲厚の薄さから小銃弾にすら耐えられないと考えられるため、戦闘用ではなく偵察車、通信ケーブルを敷設する工作車両、実験用の試作車両との説も。
鹵獲後に駆動装置を外し再塗装されたが、2000年にオリジナルの塗装に戻された。
2016年にオープンしたパトリオットパークの新たな展示スペース「パトリオット博物館」の第10ホールに移されていたが[1]、2021年クビンカに再び戻されハンガー6で展示されている。
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