ケープマレー
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ケープマレー (英語: Cape Malay, アフリカーンス語: Kaapse Maleiers, マレーシア語:Melayu Cape) とは、南アフリカ共和国に存在する民族集団およびそのコミュニティの一つ。名称は、かつて南アフリカに存在したケープ州および東南アジアの海の民族に由来する。大部分は、数世紀にわたったオランダ海上帝国期、近代インドネシア (大半の人びとはムラユ語、今のマレー語の話者) のジャワ人、および1641年から1824年にかけてのオランダ領マラッカ [1] を出自とする人々である[2]。コミュニティの最初期の構成員は、オランダ東インド会社によって連れてこられたジャワ人の奴隷であった[3]。その後、東南アジア各地の奴隷や、現在のインドネシア領土に相当する地域を支配したオランダに反抗した政治上の反体制派やムスリムの宗教指導者などが、国外追放という形で後に続いた。また、コイコイ人やインド系住民を祖先とする者もいる[4]。1654年よりこれらの抵抗者は、オランダ東インド会社によって南アフリカに追放され投獄されたが、その際、ヨーロッパ・アジア間の船舶航行の寄港地である、今日ケープタウンと呼ばれる場所が用いられた。これらの人びとは、南アフリカにイスラームをもたらした最初のグループであった。