サザン鉄道 (イギリス)
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この項目では、1923年から1947年までイギリスに存在した鉄道会社について説明しています。2001年から2015年まで存在した列車運行会社については「サザン (列車運行会社)」を、2015年以降使用されているサブブランドについては「ゴヴィア・テムズリンク・レールウェイ」をご覧ください。 |
サザン鉄道(サザンてつどう、英語: Southern Railway、略称SR、単にSouthernと略されることもあった)は、1921年鉄道法に基づく1923年の鉄道網四大グループ化で設立されたイギリスの鉄道会社である。ロンドンとイギリス海峡の港、南西イングランド、海辺のリゾート地、ケントなどを結んでいた。サザン鉄道は、ロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)、ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道、サウス・イースタン・アンド・チャタム鉄道(英語版)などの鉄道会社の合併により形成された[1]。のちにサザン鉄道となる区間の建設は、1838年のロンドン・アンド・サウサンプトン鉄道(英語版)の開通に始まり、この会社はのちにロンドン・アンド・サウス・ウェスタン鉄道へと改称した。
サザン鉄道 | |
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運行 | 1923年–1948年 |
後継 | イギリス国鉄南部局(英語版) |
軌間 | 1,435 mm |
全長 | 2,186マイル(約3,518キロメートル)(1923年時点) |
本社 | イギリス・ロンドン・ウォータールー駅 |
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サザン鉄道は、巧妙な広報宣伝活動と、ハーバート・ウォーカー(英語版)率いる理路整然とした管理組織で有名であった[1]。サザン鉄道の総延長は2,186マイル(約3,518キロメートル)で、四大鉄道会社の中で最小であり、またほかの3社と異なり収入の大半を貨物ではなく旅客から得ている会社であった。サザン鉄道は当時世界最大の電化された本線鉄道を建設し、世界最初の電化された都市間鉄道をロンドン - ブライトンに実現した。サザン鉄道の技師長は、1923年から1937年まで務めたリチャード・マンセル(英語版)、1937年から1948年まで務めたオリバー・ブレイド(英語版)の2人がいて、1923年に承継した機関車や鉄道車両のほとんどを置き換える新しい機関車や車両をどちらも設計した。サザン鉄道は第二次世界大戦において非常に重要な役割を果たし、ダンケルクの戦いの期間中イギリス遠征軍を輸送し、また1944年のオーヴァーロード作戦では補給物資を輸送した。サザン鉄道は主に旅客輸送用の路線網であったため、こうした輸送の成功はさらにいっそう注目に値する成果であった。
サザン鉄道はいくつもの有名な愛称付き列車(ネームド・トレイン)を運行していた。ブライトン・ベル(英語版)、ボーンマス・ベル(英語版)、黄金の矢(ゴールデン・アロー)、ナイト・フェリー(英語版)などである。ウェスト・カントリー方面への列車は、利益の上がる夏季の休暇輸送が多くを占めており、またアトランティック・コースト・エクスプレス(英語版)やデボン・ベル(英語版)といったネームド・トレインも運行されていた。サザン鉄道のよく知られた塗装は非常に独特で、機関車も客車も黒い台枠の上に明るいマラカイトグリーンを塗り、太く明るい黄色のレタリングを施していた。サザン鉄道は1948年に国有化され、イギリス国鉄南部局(英語版)となった。