サルバテーラ・デ・ミーニョ
スペインの町 ウィキペディアから
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サルバテーラ・デ・ミーニョ(Salvaterra de Miño)は、スペイン、ガリシア州、ポンテベドラ県の自治体、コマルカ・ド・コンダードに属する。ガリシア統計局によると、2013年の人口は9,677人(2011年:9,546人、2010年:9,456人、2009年:9,293人)である[1]。住民呼称は男女同形のsalvaterrense。自治体内は17の教区に分けられる。カスティーリャ語表記はSalvatierra de Miño(サルバティエラ・デ・ミーニョ)。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は97.98%(2001年)。
サルバテーラ・デ・ミーニョは面積62.5km²で、ポンテベドラ県の南部、テア川とミーニョ川の形成する谷の合流点に位置する。北はモンダリスとポンテアレーアスと、南はモンサオン(ミーニョ川の対岸、ポルトガル領)、東はアス・ネベスと、西はサルセーダ・デ・カセーラスとトゥイの各自治体と境界をなす。
サルバテーラ・デ・ミーニョはポンテアレーアス司法管轄区に属す[3]。
サルバテーラ・デ・ミーニョの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[4]、1996年 - [5] |
991年5月24日オルドーニョ3世の後継者であるドン・ベルムードはサンティアゴ教会に領地とサルバテーラ渓谷を寄贈した。サルバテーラの町の建設はアフォンソ9世によって開始された1218年にさかのぼる。
1568年、時の領主ディエゴ・サルミエントは、ビーゴに上陸した海賊フランシス・ドレークからポンテベドラを守るために500人の男たちを派遣している。
サルバテーラは、ポルトカーレ伯妃テレサとカスティーリャ女王ウラカとの間の戦争ではカスティーリャ兵に占領されたが、1643年までポルトガル領であった。
自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のアルトゥーロ・グランダル・バケイロ(Arturo Grandal Vaqueiro)[6]、自治体評議員は、ガリシア国民党:8、ガリシア民族主義ブロック(BNG):3、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):2となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
首長当選者:アルトゥーロ・グランダル・バケイロ(PPdeG) |
サルバテーラ・デ・ミーニョは17の教区に分けられる。
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