サン・パオロ門
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サン・パオロ門(イタリア語: Porta San Paolo)は、イタリア ローマの古代ローマ時代の城壁であるアウレリアヌス城壁に設けられた城門であり、古代ローマ時代にはオスティエンセ街道の起点のオスティエンセ門(ラテン語: Porta Ostiensis)と呼ばれていた。ローマ市内から市外にあるサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に向かう経路[1]にある門であることから、少なくとも6世紀頃[2]にはサン・パオロ門と呼ばれるようになっていたようである。
外側の門の両脇に2本の塔を持ち、中庭を挟んで市内側にも門を持つ二重門の構造で、アウレリアヌス帝(在位270年 - 275年)が建設した時には市内側・市外側ともに通路のアーチ開口が2箇所ずつある姿だった[2]。何時頃かは定かではないが、市外側の開口部は1つに縮減され、トラバーチンで造られた横幅の広い壁で埋められている形になっている[2]。マクセンティウス帝(在位306年 - 312年)とホノリウス帝(在位395年 - 423年)の時代[1]に改修が行われ、ホノリウス帝は塔のかさ上げも行った[2]。