サーサーン内乱 (628年‐632年)
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サーサーン内乱(サーサーンないらん)は、628年のサーサーン朝のホスロー2世死後に勃発した、王位をめぐる皇族や貴族たちの間の内乱である。統一された政権が存在しなかったという観点からサーサーン朝空位時代(英語: Sasanian Interregnum)とも呼ばれる。パフラヴ派(パルティア)、パルシグ派(ペルシス)、ニームルーズ派、シャフルバラーズ派などの派閥抗争により4年の間に多数の君主(シャーハンシャー)が目まぐるしく入れ替わり、地方勢力は独立の傾向を強め、サーサーン朝は著しく弱体化した。最終的にほとんど最後の皇族の生き残りだったヤズデギルド3世が632年に推戴され内乱は終結したが、翌年イスラーム共同体の侵攻が始まり(イスラーム教徒のペルシア征服)、サーサーン朝は完全に滅亡することとなる。