サーベイヤー3号
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サーベイヤー3号(英語: Surveyor 3)はアメリカ合衆国のサーベイヤー計画の3機目の月着陸探査機。1967年4月17日に打ち上げられ、4月20日に月面座標南緯3° 01′ 41.43″、東経23° 27′ 29.55″ 嵐の大洋の既知の海付近に着陸した。その後6,315枚のテレビ画像を地球に送っている。
概要 Surveyor 3, 所属 ...
Surveyor 3 | |
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所属 | NASA |
主製造業者 | ヒューズ・エアクラフト |
任務 | 着陸型探査機 |
打上げ日時 | 1967年4月17日、07:05:00 UTC |
打上げ機 | アトラス・セントール |
任務期間 | 65 時間 |
軌道減衰 |
月面に着陸 1967年4月20日、00:04:53 UTC 月面座標南緯2.94度、東経336.66度 |
COSPAR ID | 1967-035AFDGTRFYG |
質量 | 302 kg (着陸時) |
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サーベイヤー3号の着陸時、反射率の高い岩が宇宙機の月降下レーダーを混乱させたことが、後にクレーター内部で判明した[1][2]。エンジンは当初計画されていた4.3mの位置で切ることに失敗し、この遅れによって着陸機は月面で2度バウンドすることになった[3]。最初のバウンドでは10m程度に持ち上がり、2度目は3m程度のバウンドであった。2度のバウンドの後、当初計画の3.4mより低い3メートルの高さから速力0で落ちることとなり、非常にゆっくりと降下し接地3度目で月面への着陸を果たした。
3号はサーベイヤー計画で初めて表面土壌採取スコップを搭載しており、伸縮式の腕は撮影した写真の中に見ることができる。この機構は電気モーターで稼働する腕に乗っており、月に溝を掘るために使った。これらの溝は18センチメートルの深さに達し、溝から得られた土壌は画像を撮影し、地球へと送信するためにサーベイヤーのテレビカメラの前に据えられた。1967年5月3日に月で最初の夜を迎え、太陽電池で稼働するサーベイヤーは一度休眠した。夜明けは14日後であったが、夜の間にとても冷たい状況におかれたため、再稼働はできなかった。これは月の夜明け後にも再稼働を果たしたサーベイヤー1号とは対照的な結果となった。