ザルツブルク選帝侯領
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ザルツブルク選帝侯領(ザルツブルクせんていこうりょう、ドイツ語: Kurfürstentum SalzburgまたはKursalzburg、ザルツブルク大公国とも)は、1803年から1805年まで存在した、神聖ローマ帝国の領邦・選帝侯領である[1]。ザルツブルク大司教領(英語版)の後継国家だったが、短命に終わった。
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首都 | ザルツブルク | ||||||||
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ザルツブルク選帝侯領(ザルツブルクせんていこうりょう、ドイツ語: Kurfürstentum SalzburgまたはKursalzburg、ザルツブルク大公国とも)は、1803年から1805年まで存在した、神聖ローマ帝国の領邦・選帝侯領である[1]。ザルツブルク大司教領(英語版)の後継国家だったが、短命に終わった。
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