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シヴァ派(梵: Śaiva, シャイヴァ(シヴァ神の信徒))は、ヒンドゥー教における有力な宗派の1つ。シヴァ神を奉じる一神教であり、シヴァ教とも呼ばれる[1]。
シヴァ派(シヴァ教)の起源は相当に古いと考えられるが、文献で確認できる限りでは、2世紀のクシャーナ朝時代には、既にかなり大きな勢力となっていたようである[2]。
シヴァ神を最高神として崇拝する。シヴァ神には、「イーシュヴァラ」(自在天、主宰神/最高神)、「マヘーシュヴァラ」(大自在天)等の伝統的な絶対者概念が異名として取り込まれており、シヴァ派によるその「一者」概念の普及・探求は、ヨーガ学派や不二一元論などの哲学的発達にも寄与した[3][4]。
シヴァ派は仏典でも、「自在天(イーシュヴァラ)・大自在天(マヘーシュヴァラ)を崇拝し、体中に灰を塗りたくる外道」「人間の髑髏を連ねて首飾りにする外道」等として言及されている[2]。
2‐3世紀頃からシヴァ派・ヴィシュヌ派双方において教理と実践の体系の組織化が行われるようになり、シヴァ派ではこの頃から最古の宗派であるパシューパタ派(Pāśupata、獣主派[2])の体系化が始まったと思われる[1]。パシュパティ(獣主)とは、シヴァ神の激しい相であるマハーカーラ(Mahākāla、大黒)の別名である[5]。 原因(パティ、主たるシヴァ神)、結果(パシュ、家畜たる個々人の魂(個我))、ヨーガ(シヴァ神と個我との合一)、教令(儀軌、合一のための修行法)、苦の終息という5つの原理が立てられた[2]。
インド西部のヴァドーダラー(バローダ)の近くを起源とし[1]、バローダ地方生れのラクリーシャ(年代不明)を開祖とする[2]。彼はシヴァ神の28番目の化身で、パシューパタ派の根本聖典『パーシュパタ・スートラ』を著したと伝承される[2]。パシューパタ派の文献はわずかにしか現存していない[6]。実践としては超道(Atimārga、アティマールガ)に分類される[7]。
パシューパタ派では、身体に灰を塗り、奇声を発したり歌ったり踊ったりするなど、故意に世間の人々が嫌がる奇行をして見せて、軽蔑や嘲笑を買い、誤解されることによって誤解した人の功徳を自身に移して蓄積しようという修行を行った[8][2]。
カーパーリカ派は、人間の髑髏を連ねて頭や首の飾りにするといった、独特の修行法を実践した[2]。実践としては超道に分類され、パシューパタ派から派生したラークラ派から生じた[9]。現在知られている最古のシヴァ派のひとつである[7]。
パーシュパタ派は8世紀にはカシミールに入り、パーシュパタ派から、アーガマと呼ばれる聖典に基づくシヴァ派であるアーガマ的シヴァ派が分派したと推定される[6]。アーガマ的シヴァ派から、神と個我とを、独立した別の存在であるとするか、根本的に同一であるとするかの解釈の違いによって、聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派の二つの派が分かれて行った[1]。アーガマ的シヴァ派のうち、二元論的なものを聖典シヴァ派、不二一元論的なものをカシミール・シヴァ派と呼ぶのが通例となっている[6]。両派が分離する前のアーガマ的シヴァ派についてはほとんどわかっていない[6]。
アーガマ的シヴァ派では、世界を構成する基本的な要素として、主(パティ、シヴァ神)・家畜(パシュ、個我)・索縄(パーシャ、個我を束縛するもの)の三つの原理をたてる[1][10]。シヴァ神は全知全能の永遠の精神的存在、個我は本来シヴァと等しい能力を持つ精神的存在であるが、索縄のためにその能力は覆われている[1]。索縄の根本的なものは「個我の汚れ」(アーナヴァ・マラ)と呼ばれる微細な物質的存在で、主はこうした個我のあわれな状態を見て、物質からなる個我の汚れを落すために物質からなる世界を創造する[1]。世界創造の原物質・根本的質量因であるマーヤーも物質的存在であり索縄の一つとされる[1][10]。業(カルマ)も索縄のひとつだが、個我を世界に縛り付けるというインド思想一般で理解される働きと共に、個我の汚れを落すために必要な(洗濯のような)行為ともみなされており、個我は世界の中に繰り返し誕生し行為(カルマ)をなすことで個我の汚れの吸着力を減らしていき、個我の汚れの力が弱まった時点で、人間の師の姿をとったシヴァ神がディークシャーとよばれる儀礼を行い、個我の汚れを切り離す[1]。これにより個我は、その人生が終わる時に完全に索縄から解放され、シヴァ神と等しい能力を取り戻し、解脱に達するとされる[1]。
インドの宗教の研究者高島淳は、「不可解な苦しみの生存としてしか理解されていなかった世界の存在を、神の人間に対する恩恵の手段として捉え直したところに、この新しいシヴァ教の根本的な特徴がある。」と述べている[1]。
アーガマ的シヴァ派は、南インドでは聖典シヴァ派として大寺院の儀礼を司り、北インドではタントラ的シヴァ派あるいはシャクータ派として、寺院儀礼、個人儀礼の中心的役割を果たしている[6]。
聖典シヴァ派(シャイヴァ・シッダーンタ、Śaivasiddhānta)は思想としては二元論であり[11]、その実践の形態はマントラ道(Mantramārga)に分類される[7]。シヴァ神(主、パティ)・個我(家畜、パシュ)・マーヤ―(物質)(索縄、パーシャ)を実在とする[12]。パーシュパタ派のように個人の解脱のみを目指すのではなく、シヴァ神の恩恵により多くの人々の救済を目指した[1]。
人間の個我は、自らの知や力等は有限であり、肉体が自己であると誤認しており、この状態が家畜と呼ばれる[10]。人間の個我は本来汚れなく清浄であるが、無知と業と迷妄(マーヤー)によって輪廻の世界に縛り付けられており、シヴァ神の恩恵によって神通力を得、解脱を得て、個我はシヴァ神と成ると考える[2][13]。これはシヴァ神と一体化することではなく、シヴァ神の境地に到達することであり、シヴァ神との「完全な類似」である[13]。解脱を妨げる個我の汚れを物質的なものであるとみなし、そのため解脱には物質的操作を含む儀礼が必要とされる[11]。
アーガマ文献を聖典として基盤とし、特に南インドのタミル地方で栄えた[2][1]。このアーガマについては28部の根本アーガマのリストのみが知られ、その大部分は散逸したと思われていたが[1]、聖典シヴァ派が広まり根付いた南インドでは多く文献が現存している[7]。
物質世界の開展については、シヴァ神は陶工、ろくろなどの道具はシャクティ(機会因)、世界創造の原物質・根本的質量因であるマーヤーは粘土であり、世界はシヴァ神によって作られた壺に喩えられる[10]。シャクティは純粋精神であるシヴァ神と物質とを媒介する原理であり、シヴァと同一性の関係にあるが、その力であり、シヴァという霊魂の肉体であると説かれる[10]。
多くの聖者が知られており、特にアッパル(7世紀)、ニャーナサンバンダル(7世紀)、スンダラル(8もしくは9世紀)が知られる[2]。
カシミール・シヴァ派は、思想としては不二一元論であり[11]、その実践の形態はマントラ道(Mantramārga)に分類される[7]。彼らは自らをトリカと称している[8]。
個我を含むこの世界の全てはシヴァ神であるため、自らがシヴァ神であるという知によって解脱が生じ、この知が自然に生じるには非常に強いシヴァ神の恩恵が必要と考える[11]。解脱を妨げる個我の汚れは物質ではなく無知にすぎないとされる[11]。聖典シヴァ派と同じくアーガマ文献の権威を認め、両派の儀礼は外見的には似通っている[14]。特にカシミール地方を中心に栄えた[2]。
9世紀にバスグプタが『シヴァ・スートラ』を著し、ここから不二一元論の傾向が強まっていき、彼の弟子バッタ・カッラタとソーマーナンダによって神学的な基礎が形成された[2]。
クラマ派(Krama)、クラ派(Kula, Kaula)、再認識派(プラティアビジュニャー、Pratyabhijñā)という3つの流派・系統がある[15]。
リンガーヤタ派(Liṅgāyata、ヴィーラ・シヴァ派(Vīra-śaiva)[2])は、アーガマ的シヴァ派から分岐したと考えられる[6]。特にカルナータカ地方に広まった。シヴァ神の象徴であるリンガを常に身につけ、社会・宗教改革を目指し、バラモンの伝統を否定した[16]。カーストを認めず、男女平等を主張し、寡婦の再婚を認め、偶像崇拝や巡礼などの儀礼を否定した[2][8]。
シヴァ派の中で、現代で最も熱心に信仰されている[6]。
ラセーシュヴァラ派(Raseśvara、水銀派)は、水銀はシヴァ神とその妃との結合から生じた不老不死の霊薬であり、これを服用して身体を水銀所成にし、ヨーガを修することで、生前解脱できるとする[2]。
超道(Atimārga、アティマールガ)は、社会の外に身を置き、解脱(モクーシャ)のみに関心を持つ苦行者たちによるものである[7]。その主な実践は、瞑想への専心と肉体的な苦行(タパス)に焦点を当てていた[7]。超道を構成する一派は、現在知られているシヴァ派の中で最も古く、パーシュパタ派、ラークラ派(Lākula)、カーパーリカ派である[7]。
ヴェーダ的伝統の中で、苦行者たちは苦行を行ってタパス(苦行の力)を蓄積することで超自然力を獲得しようとしてきたが、タパスは消費されると行者はその力を失ってしまうというように、輪廻の内での力であった[17]。こうした苦行の伝統を引き継ぎながら、それを乗り越えようとした最初のムーブメントがパーシュパタ派に代表される超道だと考えられる[17]。現世的秩序を「越えた(ati)」道によって、浄不浄の対立を超克する「軽蔑の探求」のような技法によって、人格的絶対神と等しい力を得ようとすることが試みられた[17]。
初期のシヴァ派の教えが主に対象としていたのは、世間を離れ、師につき修行を行うことのできる男性のみであった[1][7]。超道のグループの文献はほとんど残されていない(パーシュパタ派は根本経典が現存している)[7]。その実践について知られていることの多くは、マントラ道に引き継がれたものから来ている[7]。
マントラ道(Mantramārga、マントラマールガ)はタントラ的シヴァ派(Tāntrik Śaivism)と同義であり、アーガマと呼ばれる聖典に基づくシヴァ派であり、主に聖典シヴァ派(シャイヴァ・シッダーンタ)とカシミール・シヴァ派がある[7]。
いくつかの儀式、図像、マントラが超道と共通しているが、世間を離れた修行者だけでなく(四住期における)家長(grhasta)にも開かれている点、4つのカースト(ヴァルナ)と女性にも開かれている点が、超道と大きく異なる[7]。また、この道は解脱に焦点を当てているものの、神通力(siddhi)と快楽の享受(bhoga)も追求しており、解脱だけでなく現世利益的な目標も掲げる[7][9]。10-11世紀の一元論的なカシミール・シヴァ派は、そのような神通力と快楽の享受が、二元論的な心の概念を打ち破る方法であることを示そうとした[7]。
聖典シヴァ派の伝統の様々なアーガマは二元論的であり、主に公共の寺院でのシヴァ神(通常はリンガの形のサダーシヴァ(永遠のシヴァ神))礼拝の儀礼について述べており、他の神や女神たちの形態の礼拝の規定にも関連している[7]。
聖典シヴァ派の文献がシヴァ崇拝の儀式について述べているのに対し、カシミール・シヴァ派の文献はシヴァ・シャクティという考えを持ち、それはより獰猛な形態である[7]。カシミール・シヴァ派は清教徒的な聖典シヴァ派と異なり、寺院でのシヴァ崇拝の儀礼には参加しなかったが、その代わりに超道の背景を利用し、火葬場での飲酒や肉食などの反道徳的行為を含む儀式を行っていた[7]。しかし、聖典シヴァ派とカシミール・シヴァ派は、包括的な儀式のシステム、神通力の追求、ヴェーダではなくアーガマへの信仰を共有しており、両者を別のシステムとして明確に区別することは難しい[7]。
クラ道(Kulamārga、クラマールガ)は、マントラ道の一派と同様に、超道、特にカーパーリカ派の伝統に由来すると考えられ、従って反バラモン的・反清教徒的な実践を共有している[7][9]。そのアーガマはクラ・シャーストラとして知られる[7]。独自の儀礼形式をもつ点がマントラ道と大きく異なり、インド学者のアレクシス・サンダーソンの見解によると、クラ道における独自の儀礼形式は,超道のカーパーリカ派から継承されたものである[9]。
クラ・シャーストラは、バイラヴァ(シヴァ神の暗黒相)を伴うか否かに関わらず、女神信仰を中心とする[7]。10世紀までには、主にカシミール・シヴァ派のアビナヴァグプタのタントラローカ等の作品により、カシミール・シヴァ派(トリカ)の文献と実践はクラ道のものと密接に関連するようになった[7]。またクラ道は、超道に見られるマントラの使用を拡大し、音素、特に母音は、適切な朗誦と行使によって顕れる女神 (シャクティ) の様々な側面を表す[7]。
インド全土の様々なシヴァ派とシャークタ派の教えを説いた膨大な文献群がシヴァ派アーガマ(シャイヴァ・アーガマ)と呼ばれている[7]。現在確認できる情報では、シヴァ派アーガマの正確な年代を特定することはできないが、最初の文献が6世紀以前に存在していたかは疑わしい(それ以前にシヴァ派が活発に活動していなかったという意味ではない[7])。紀元前2世紀頃のパタンジャリによるとされるパーニニの文法学の注釈書マハーバーシャで言及されているため、アーガマが書かれる以前には口伝の伝統があったと推定される[7]。10世紀から11世紀までに、手引書や注釈書などの他のシャーストラも含むシヴァ派の文献の数は飛躍的に増え、北はカシミールやネパールから南はタミルナードゥまで、南アジアの大部分に広がった[7]。
膨大なシヴァ派アーガマの分析方法として、シヴァ派の文献は、シヴァ派の3つの主要な形態である超道、マントラ道、クラ道に分類することができる[7][9]。
スルタン達とムガル帝国による度重なるインド侵略の後、シヴァ派は北インドから姿を消していった[7]。聖典シヴァ派をはじめとする集団は、多くの文献を携えて南下し、その経典や儀式の多くは南インドに残されている[7]。ネパールはイスラム教徒の侵略を受けなかったため、カシミールに残った数少ないバラモンは、カシミール・シヴァ派の膨大な文献、経典、注釈を保持することができ、19世紀後半、西洋のインド学者がネパールとカシミールで多くの文献を発見した[7]。今日、アーガマやその他のシヴァ派の文献に関する研究は、ネパール・ドイツ写本目録プロジェクト(the Nepalese-German Manuscript Cataloguing Project)やフランス・ポンディシェリ研究所 (French Institute of Pondicherry、IFP) などの研究機関、アレクシス・サンダーソンなどの学者によって進められてる[7]。
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