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スペイン外人部隊は1920年にフランス外人部隊に倣ってモロッコにて創設された。同部隊は陸軍参謀総長の直接の指揮下にあり、スペイン陸軍の中でも精鋭で知られた存在であった。1987年までに連続して再編制された結果、外人部隊は総員6,500人にまで縮小された。隊員はすべて志願兵からなり、かつ他部隊よりも職業軍人の員数を多めにするよう配慮された。非スペイン系の隊員(その構成比は全体の10%を上回ることはなかった)の補充は1986年にいったん終了した。すでに在籍していた外国籍の隊員はそのまま残留となる。外国籍隊員のうち最も多いのはキューバ人であった。 2000年代に入って徴兵制度が廃止されると、スペイン外人部隊は再び外国籍隊員の入隊を許可した。
スペイン外人部隊は4個のテルシオを基幹単位とし、部隊規模は連隊と旅団の中間にあたる単位である。テルシオの長は大佐が指定された。第1テルシオと第2テルシオは、メリリャとセウタ(北アフリカ)の駐屯軍の主力を構成した。各隊は自動車化大隊が削減されたのち、1個自動車化大隊、1個機械化大隊、対戦車中隊及び本部中隊からなる編制となった。 第3テルシオ(カナリア諸島)は、2個機械化歩兵大隊と本部中隊からなる。第4テルシオは、マラガの近郊に駐屯しており、外人部隊本部で全般支援から戦闘部隊まで多様な部隊からなる。
国防省は完全に志願兵からなる緊急配備部隊の創設を計画しており、スペイン外人部隊、落下傘旅団、空中機動旅団と海兵隊を含むこの部隊は命令下達後12時間で世界の紛争地帯に投入できるようになるという。 現在のスペイン海軍・空軍は十分な数の輸送機と輸送艦船を保有していないため、その能力が制限される原因となっている。
1920年の第3次リーフ戦争で初めて投入され、1936年に始まったスペイン内戦ではフランシスコ・フランコのような反乱側のために戦った。
第二次世界大戦後はモロッコの植民地紛争や西サハラ問題での紛争に投入された。1991年のユーゴスラビア紛争では平和安定化部隊に参加し、アメリカ同時多発テロ事件以降の アフガニスタン紛争、イラク戦争でも多国籍軍に参加した。
近年では国際連合レバノン暫定駐留軍や対ISIL作戦に参加している。
装備品はスペイン陸軍のものに準ずる。
火砲
車両
銃火器
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