ダリエン計画
ウィキペディア フリーな encyclopedia
ダリエン計画(英: Darien scheme、ダリエン・スキーム)は、1690年代末に行われた、スコットランド王国の投資家による失敗に終わった植民計画である。現パナマ共和国グナ・ヤラ(英語版)(グナ族自治区)にニューカレドニア(New Caledonia、「新スコットランド」の意)植民地を建設し、バルボアと同様にパナマ地峡を陸路で横断して大西洋のダリエン湾(英語版)から太平洋へと通じる交易路の開拓を目論んだ。
|
二度にわたって定住が試みられたものの、80%を超える移住者が1年以内に死亡、植民地は放棄された[1] [2]。このような悲惨な結果となったのには様々な原因があった。計画と準備の不十分さ、リーダーシップの分裂、貿易品の需要の欠如、イングランドによる貿易封鎖[3]、熱帯病の壊滅的な流行、スコットランドによる植民を快く思わないイングランド東インド会社とイングランド政府との連携、スペイン帝国の軍事的反撃への見透しの甘さ、などが対抗勢力の主張からも示唆されている。最終的に、1700年3月にスペイン軍によって陸海から包囲され降伏、植民地は放棄されるに至った[4]。また、1698年には遠征隊が「蟹島」(Crab Isle、現プエルトリコ・ビエケス島)を占領するも、この島も短期間で放棄されている[5]。
この事業を進めたスコットランド会社は、スコットランドで流通する資金の約20%を投入していたため、その失敗はスコットランド低地地方全体の財政破綻を招くことになり、合同法(1707年に成立)に対する抵抗運動を弱める大きな要因となった。