トマス・ブライアン・マーティン
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トマス・ブライアン・マーティン(英: Thomas Bryan Martin、1731年 - 1798年)は、イングランド系アメリカ人の土地管理人、判事、議会議員、農園主である。バージニア植民地、後のバージニア州からウェストバージニア州に移った土地で暮らした。伯父である第6代フェアファックス・オブ・カメロン卿トマス・フェアファックス(英語版)(1693年-1781年)の領したノーザンネック領地の土地管理人を務め、またバージニア植民地議会議員を2期務めた。
トマス・ブライアン・マーティン Thomas Bryan Martin | |
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バージニア植民地議会議員 ハンプシャー郡選出 | |
任期 1756年 – 1758年 トマス・ウォーカーとサービング | |
前任者 | ガブリエル・ジョーンズ トマス・ウォーカー |
後任者 | ガブリエル・ジョーンズ パーカー |
バージニア植民地議会議員 フレデリック郡選出 | |
任期 1758年 – 1761年 ジョージ・ワシントンとサービング | |
前任者 | トマス・スウェアリンゲン ヒュー・ウェスト |
後任者 | ジョージ・マーサー |
個人情報 | |
生誕 | 1731年 (1731) イングランド、ケント |
死没 | 1798年(66 - 67歳没) バージニア州 |
国籍 | イギリス系アメリカ人 |
親戚 | デニー・マーティン(父) フランシス・フェアファックス・マーティン(母) デニー・マーティン・フェアファックス(兄) 第6代フェアファックス・オブ・カメロン卿トマス・フェアファックス(伯父) 第7代フェアファックス・オブ・カメロン卿ロバート・フェアファックス(叔父) 第5代フェアファックス・オブ・カメロン卿トマス・フェアファックス(祖父) 第2代コルペパー男爵トマス・コルペパー(曾祖父) |
住居 | バージニア州グリーンウェイコート(現在のバージニア州クラーク郡ホワイトポスト近く) |
職業 |
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宗教 | 聖公会 |
兵役経験 | |
最終階級 | 大佐 |
指揮 | フレデリック郡民兵隊 |
マーティンは1731年、イングランドのケントで生まれた。母方の祖父は第5代フェアファックス・オブ・カメロン卿トマス・フェアファックス(英語版)であり、母はフランシス・フェアファックス・マーティンだった。イングランドではつつましい環境で育ち、1751年にバージニアに移住して、伯父の第6代フェアファックス・オブ・カメロン卿トマス・フェアファックス(フェアファックス卿と呼ばれた)を援けることになった。広さが500万エーカー (20,000 km2) もあった叔父のノーザンネック領地を管理した。現在のバージニア州クラーク郡にあったグリーンウェイコート荘園に、伯父と共に住んだ。マーティンの活力ある性格と忠誠心の故にフェアファックス卿の気に入られた。1762年、フェアファックス卿に対して大きくなっていたマーティンの影響力を通じて、領地を管理する本拠地をグリーンウェイコートに移させ、マーティンは領地の執事かつ土地管理人になった。
マーティンはその領地の範囲内で政治や公的な事項に積極的な役割を果たした。聖公会フレデリック教区の教区委員を務め、1754年にハンプシャー郡が創設された時には、郡の初代判事となり、また郡副官にも指名された。1756年から1758年、ハンプシャー郡選出バージニア植民地議会議員となり、1758年から1761年には、ジョージ・ワシントンと共にフレデリック郡選出議会議員となった。フロンティアの町ウィンチェスター、スティーブンズバーグ(現在のスティーブンズシティ)、バス(現在のウェストバージニア州バークレースプリングス)の信託委員に指名された。またフレデリック郡民兵隊の大佐にも指名された。健康状態は良くなかったが、領地の開拓者達から頼られ、インディアンからの攻撃に対してかなりの資源を使うことになった。アメリカ独立戦争が始まると、パトリック・ヘンリー州知事からのフレデリック郡治安判事再指名を断った。その後は公的な役職から完全に退き、グリーンウェイコートに引退した。
戦中は目立たない姿勢を維持し、伯父のフェアファックス卿はアメリカの植民地に住む唯一の貴族だったにも拘わらず、敬意と思いやりをもって遇された。1781年にフェアファックス卿が死んだ後、マーティンの兄であるデニー・マーティン・フェアファックス牧師がノーザンネック領地を継承し、マーティンはグリーンウェイコート荘園を与えられた。叔父の家政婦だったクロウフォード夫人を愛人とし、1798年、未婚のまま死んだ。グリーンウェイコート荘園と隣接する1,000エーカー (4.0 km2) の土地を家政婦だったベッツィ・パワーズに遺贈した。兄のデニー・フェアファックスは領地を適切に維持できず、1797年には残っていた土地を譲渡したので、この領地のフェアファックスとマーティン両家の権益が終わりとなり、その後の1806年に正式に解体された。ウェストバージニア州マーティンズバーグ市は、マーティンの友人であるアダム・スティーブンがマーティンにちなんで名付けた町である。