ドレスデン会議 (1812年)
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ドレスデン会議(ドレスデンかいぎ、英:Conference of Dresden)は、1812年5月、ナポレオン1世がロシア遠征の準備の一環として、ヨーロッパの指導者を集めて開催した会合である。ナポレオンがザクセンの首都に到着した5月16日に、その権力の誇示と軍事的援助を求める目的で始まった。出席者は、少なくとも1人の皇帝(オーストリア皇帝フランツ1世[注釈 1])、6人の王たち(プロイセン王のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世、ザクセン王のフリードリヒ・アウグスト1世ら)、その他諸侯、大公、公爵、野戦司令官などが多数であった。ナポレオンはロシア帝国侵略の最終計画のことで上の空であったが、フランス国家の費用で豪華な宴会、コンサート、演劇が催された。ナポレオンはナルボンヌ将軍(Louis, comte de Narbonne-Lara)をロシア皇帝のアレクサンドル1世に派遣し、最後通牒の提示を行った。アレクサンドルは領土の譲歩を拒否し、「不名誉な和平」に同意するよりも戦うことを望むと返答した。5月28日、ナポレオンはアレクサンドルの返答を受け取ると、その翌日には軍隊を率いてロシアに向かうためドレスデンを発った。この会談は、アメリカがイギリスに対して米英戦争を開始する要因として引用され、1807年のティルジット条約調印以来、ナポレオンがロシアに戦争を仕掛ける意思を示した最初のものである。