ノヴィ・サド
セルビアの都市 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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ノヴィ・サド(セルビア語:Нови Сад / Novi Sad - 発音: [nóviː sâːd][ヘルプ/ファイル]、ハンガリー語:Újvidék、スロバキア語:Nový Sad、パンノニア・ルシン語:Нови Сад)は、セルビア北部の都市、およびそれを中心とした自治体であり、同国北部を占めるヴォイヴォディナ自治州の州都[2]、南バチュカ郡の中心地である。街はパンノニア平原の南部、ドナウ川沿いにある。
ノヴィ・サド Novi Sad / Нови Сад | |||||
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愛称 : セルビアのアテネ | |||||
標語 : "Град по мери грађана 市民に合った街" | |||||
位置 | |||||
セルビアにおけるノヴィ・サドの位置 | |||||
座標 : 北緯45度15分 東経19度51分 | |||||
歴史 | |||||
設立 | 1694年 | ||||
行政 | |||||
国 | セルビア | ||||
地域 | ヴォイヴォディナ ヴォイヴォディナ自治州 | ||||
郡 | 南バチュカ郡 | ||||
基礎自治体 | ノヴィ・サド | ||||
市長 | イゴル・パヴリチッチ(Igor Pavličić) (民主党) | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
基礎自治体域 | 699 km2 (269.9 mi2) | ||||
市街地 | 129.4 km2 (49.9 mi2) | ||||
標高 | 80 m (262 ft) | ||||
人口 | |||||
人口 | (2010年現在) | ||||
基礎自治体域 | 382,010人 | ||||
市街地 | 293,508人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
市外局番 | +381 21 | ||||
ナンバープレート | NS | ||||
[1] | |||||
公式ウェブサイト : novisad.rs |
ノヴィ・サドは、ベオグラードに次いでセルビアの第二の都市である[3]。2010年8月のデータによると、市街地には293,508人が住んでおり、街を中心としたノヴィ・サド市の人口は382,010人である[1]。市域はバチュカ地方とスレム地方にまたがっており、両地方はドナウ川で隔てられている。街の北にはドナウ=ティサ=ドナウ運河(Danube-Tisa-Danube Canal)が通過し、ドナウ川へと合流している。南ではフルシュカ・ゴーラ(Fruška Gora)山脈の北斜面に接している。
街は1694年に築かれたもので、ハンガリー王国の重要な戦略拠点であったペトロヴァラディン要塞からみて、ドナウ川を挟んで反対側にセルビア人の商人らが入植したのが始まりであった。18世紀から19世紀にかけて、ノヴィ・サドは商業と製造業の重要な拠点となっていった。1848年革命で破壊されたが後に復興し、セルビア人の文化的な一大拠点へと成長、「セルビア人のアテネ」の愛称も生まれた。歴史上、ノヴィ・サドは常に多民族混住の地であり、中でもセルビア人、ハンガリー人、ドイツ人が主要民族であった。現在のノヴィ・サドも多民族社会が維持されており、またセルビア経済の重要拠点であり、文化的な中心地のひとつである。