ビアク島の戦い
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ビアク島の戦い(ビアクとうのたたかい, Battle of Biak, 1944年5月27日 - 8月20日[1])は、太平洋戦争中のニューギニア戦線における戦闘の1つ。
概要 ビアク島の戦い, 交戦勢力 ...
ビアク島の戦い | |
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ビアク島で破壊された日本軍の九五式軽戦車 | |
戦争:太平洋戦争 | |
年月日:1944年5月27日 - 8月20日 | |
場所:ニューギニア島西部ビアク島 | |
結果:連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 オーストラリア |
指導者・指揮官 | |
千田貞敏 † 葛目直幸 † |
ホレース・ヒュラー(英語版) ロバート・アイケルバーガー ウィリアム・フェクテラー ジョージ・ケニー(英語版) |
戦力 | |
12,400 増援 2,500 |
30,000 |
損害 | |
戦死・戦病死 10,000以上 生還者 520 |
戦死 471 戦傷 2,433 戦病 7,200 |
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アメリカ軍は、マリアナ諸島への進攻に先立ち、飛行場確保などを目的としてニューギニア北西部のビアク島へ上陸した。これに対して日本軍の守備隊は「北のアッツ、南のビアク」と呼ばれるほどの抵抗を続け、1か月以上も飛行場の使用開始を許さなかった。しかし第101燃料廠によるクラモノ油田開発は撤退を余儀なくされ、この戦いは1944年6月のマリアナ沖海戦の結果に繋がった。