ピアノ協奏曲第3番 (チャイコフスキー)
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ピアノ協奏曲 第3番(ロシア語: Фортепианное концерт No.3)変ホ長調作品75は、ピョートル・チャイコフスキーが作曲したピアノ協奏曲の一つ。ただし、全曲の完成には至らなかった。
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音楽・音声外部リンク | |
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P. I. Tchaikovsky:Concierto para piano nº 3 - マリアンナ・プルジェヴァルスカヤ(Marianna Prjevalskaya;P)、イオン・マリン指揮ガリシア交響楽団による演奏。ガリシア交響楽団公式YouTube。 | |
Tchaikovsky - Piano Concerto №3 Op.75 - Pavel Nersessian(P)、パヴェル・コーガン指揮モスクワ国立交響楽団(Moscow State Symphony Orchestra)[1]による演奏。当該独奏者自身の公式YouTube。 |
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チャイコフスキーは当初『人生』と銘打った交響曲を構想していたが、それを破棄してピアノ協奏曲として生まれ変わらせることにした。しかし完成以前にチャイコフスキーは死去したため、結局のところ作曲者が完成させることのできたのは第1楽章「アレグロ・ブリランテ」のみであり、それが死後に遺作として作品75という番号つきで出版された。
チャイコフスキーの死後、その弟子のセルゲイ・タネーエフがこの曲の緩徐楽章と終楽章のスケッチを補筆・編集し、『アンダンテとフィナーレ』とした(出版にあたって「作品79」とされた)。
本作の複雑きわまる成立史は、交響曲第5番の大成功を受けて、チャイコフスキーが自分自身を表現しようとした悪戦苦闘を映し出している。結局その試みが叶ったのは、交響曲第6番『悲愴』においてであった。
なお、後にこの曲やタネーエフ編の『アンダンテとフィナーレ』などを基にして、チャイコフスキーが当初考えていた『人生』交響曲の再構成の試みが行われている。そのひとつが、1950年代にロシアの作曲家セミヨン・ボガティレフが4楽章の交響曲に編集し直した『交響曲第7番変ホ長調』である。さらに、2005年にロシアの作曲家ピョートル・クリモフが3楽章の交響曲として編集し直している。日本ではこのクリモフ版を「未完成交響曲『ジーズニ』(ロシア語: Жизнь)」と呼び、日本初演および録音が行われている。