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文化遺産を管轄し関連の専門知識の収集と研究、普及を趣旨とする文化研究の政府機関 ウィキペディアから
フィンランド文化遺産庁 (フィンランドぶんかいさんちょう, フィンランド語: Museovirasto、スウェーデン語: Museiverket)はフィンランドの重要な文化遺産を管轄する官庁である。上部機関は教育省で[2]、関連の専門知識の収集と研究、普及を趣旨とする文化研究機関である。また遺跡の保護、建築遺産や文化史上の貴重な環境と文化財の保護について、他の当局や博物館との協力や折衝を担当する政府機関である[3][4][5][6][7]。
フィンランド文化遺産庁 | |
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Museovirasto Museiverket | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1972年 |
本部所在地 | ヘルシンキ市Sturenkatu 2a |
人員 | 235 |
行政官 |
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上位組織 | 文化教育省[2] |
ウェブサイト | www |
脚注 | |
旧称「国立古代委員会」(–2018年) |
多種多様なサービスを提供する専門職の専任職員のほか、複数の博物館の展示と収集、広範なアーカイブおよび専門の科学図書館を管轄する。いずれも一般に公開され利用できる[3]。
組織は4つのコアプロセスに分かれ、活動を統括する。
予算の枠内で運営し、活動予算の一部を文化および歴史の価値ある建物の維持管理など、さまざまな助成金に充当する。庁はフィンランドの美術館に関する統計データの収集、遺産の研究、場合によっては文化財の輸出の許可審査を行う。
2016年末の職員数は236人。
フィンランド文学協会は、早くも1867年にフィンランドの古代遺跡保護を主導した。1882年議会 は承認された議案に依拠し、古代の記念物の指定と保護に関する法令を翌1883年に採択する。1884年6月19日に設立を発表した「考古学事務所」(芬: Arkeologisk Kommission)は古代遺産規制を管轄、これによりフィンランドで初めて古代記念物が政府機関直轄の保護対象となる。国立考古学協会とフィンランド文学協会、ヘルシンキ大学、フィンランド科学協会、フィンランド歴史協会とフィンランド古代記念物協会からそれぞれの代表が委員に就任、合計6人の組織は1908年と1911年に改称、考古学委事務所から考古学委員会となる。中世の城の修復事業は1890年代にさかのぼり、1920年代に入るとスオメンリンナの要塞とトゥルク大聖堂の修復が完成した[8]。
委員会の前身は1893年に国立歴史博物館を開設して考古遺物の管理に当たる。これを基準にのちにフィンランド国立博物館を構想して1916年に開館、セウラサーリ野外博物館も設立から4年後の1913年、委員会の管轄下に移る。考古学委員会は1920年、合議制の国立古代委員会に改めた。権限拡大の契機は新しい古代法(1963年)と建物保護法(1964年)の制定で、その背景に多くの建築物保護の切迫があった。やがて海洋考古学も管轄に加わり、1972年、委員会は現在の文化遺産庁(芬: Museovirasto)に組織変更される[9]。
本庁は1972年にヘルシンキ市内Nervander通りの旧フィンランド共同教育学校の建物に入り[11]、次に2011年から2013年にかけてアルヴァ・アアルト設計の文化館(旧ホームスクール教師館の跡地周辺)に移って業務を行なっている[12]。
1971年以前の「国の考古学者」と長官職の歴任者(1972年から1992年まで・1993年以降[13])
国の考古学者(1885年–1971年)
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長官(1972年-1992年)
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長官(1993年-)
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