フェンタニル
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フェンタニル (Fentanyl) は、鎮痛剤として使用される非常に強力な合成オピオイドである。ほかの薬物とともに、麻酔[1]、集中治療室での鎮痛、鎮静[2]に用い、術後鎮痛や癌性疼痛の鎮痛にも適応がある[3]。
IUPAC命名法による物質名 | |
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臨床データ | |
発音 | /ˈfɛntənɪl/ or /ˈfɛntənəl/ |
販売名 | フェンタニル[4]、フェントス[5]、イーフェン[6]、アブストラル(Abstral)[7]、デュロテップ[8]、ワンデュロ[9]、Sublimaze[10]、Instanyl[11]、Lazanda[12] |
Drugs.com | monograph |
MedlinePlus | a605043 |
ライセンス | EMA:リンク、US Daily Med:リンク |
胎児危険度分類 |
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法的規制 |
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依存性 | 高い[13] |
投与経路 | 口腔粘膜、硬膜外麻酔、筋肉内注射、髄腔内(英語版)、静脈注射、舌下(英語版)、経皮吸収パッチ |
薬物動態データ | |
生物学的利用能 | 92% (経皮) 89% (鼻腔) [14] 50% (頬粘膜) 33% (消化管) 100% (筋肉注射) 80% (吸入) 100% (静脈注射) |
血漿タンパク結合 | 80–85%[15] |
代謝 | 肝臓、主としてCYP3A4による。 |
作用発現 | 5分[16] |
半減期 | IV: 6分 (T1/2 α) 1時間 (T1/2 β) 16時間(T1/2 ɣ) 鼻腔内: 15-25時間[17] 経皮: 20–27時間[17] 舌下 (単回): 5–13.5時間[17] 頬粘膜: 3.2-6.4時間[17] |
作用持続時間 | IV: 30–60 minutes[16][18] |
排泄 | 主に尿から代謝物が排泄 ( 10%以上は未変化体として)[17] |
識別 | |
CAS番号 | 437-38-7 |
ATCコード | N01AH01 (WHO) N02AB03 (WHO) |
PubChem | CID: 3345 |
IUPHAR/BPS | 1626 |
DrugBank | DB00813 |
ChemSpider | 3228 |
UNII | UF599785JZ |
KEGG | D00320 |
ChEBI | CHEBI:119915 |
ChEMBL | CHEMBL596 |
PDB ligand ID | 7V7 (PDBe, RCSB PDB) |
化学的データ | |
化学式 | C22H28N2O |
分子量 | 336.48 g·mol−1 |
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物理的データ | |
密度 | 1.1 g/cm3 |
融点 | 87.5 °C (189.5 °F) |
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フェンタニルは、主に鎮痛薬として使用される強力な合成ピペリジン系オピオイドである。ヘロインの50倍、モルヒネの100倍の効力を持つ[19]。主な臨床用途は、がん患者や手術患者の術中・術後の疼痛管理である[20][21]。フェンタニルは処置時の鎮静・鎮痛にも使用される[22]。投与方法にもよるが、フェンタニルは非常に即効性があり、比較的少量で過剰摂取を引き起こす可能性がある[23]。フェンタニルはμオピオイド受容体(英語版)を活性化することによって作用する[17]。
作用は急速で、効果は通常2時間以内に消失する[17]。医療では注射、鼻腔スプレー、皮膚パッチ、トローチ、錠剤などの剤形で頬粘膜から吸収させて用いる[17][24]。医薬品としてのフェンタニルの有害作用は、他のオピオイドの有害作用と同じであり[25]、依存症、せん妄、呼吸抑制(重度かつ未治療の場合、呼吸停止に至る可能性がある)、傾眠、吐き気、視覚障害、ジスキネジア、幻覚、せん妄、「麻薬性せん妄」として知られるこれら精神症状の組み合わせ、イレウス、筋硬直、便秘、意識消失(英語版)、低血圧、昏睡、死亡などである[22]。アルコールと他の薬物(例: コカインおよびヘロインなど)は、フェンタニルの副作用を相乗的に悪化させる。ナロキソンは、オピオイドの過剰摂取の影響を拮抗することができるが、フェンタニルは非常に強力であるため、複数回のナロキソン投与が必要な場合がある[10]。
フェンタニルは1959年にポール・ヤンセン(Paul Janssen)(英語版)によって初めて合成され、1968年に米国で医療用として承認された[17][26]。発売から20年以上、作用時間の短い注射薬のみであったが、様々な剤形の開発が進められた。1990年代には、有効成分を皮膚から長時間送達するために経皮吸収パッチが開発された[27]。1998年にはトローチ製剤が承認され[28]、2009年には口腔粘膜吸収製剤として水溶性フィルムが承認された[29]。2011年、速放製剤のバリエーションとして、フェンタニルを鼻から投与することも可能となった(点鼻薬)[30][31]。2015年には、世界中で1,600キログラム(3,500ポンド)が医療に使用された[32]。2017年の時点で、フェンタニルは医療で最も広く使用されている合成オピオイドであった[33]。2019年には、米国で最も処方されている薬の278番目であり、100万以上の処方があった[34][35]。フェンタニルはWHO必須医薬品モデル・リストに掲載されている[36]。
フェンタニルは、アメリカにおけるオピオイド過剰摂取の流行(英語版)に拍車をかけ続けている。2011年から2021年まで、処方オピオイドの年間死亡者数は横ばいであったが、合成オピオイド過剰摂取による年間死亡者数は2,600人から70,601人に増加した[37]。2018年以降、フェンタニルとその類似体が米国における薬物過剰摂取による死亡のほとんどを占めており、2021年には71,238人以上の死亡を引き起こしている[38][37][39]。フェンタニルは、2018年にヘロインを抜いて以来、米国における薬物過剰摂取による死亡の大部分を占めている[38]。アメリカの国立法医学研究所(英語版)は、連邦、州、地方の鑑識によるフェンタニルの報告は、2014年の4,697件から2020年には117,045件に増加したと推定している[40]。フェンタニルは、コカインやヘロインなどの他の薬物と一緒に混合されたり、摂取されたりすることが多い[40]。フェンタニルは錠剤の形で報告されており、その中にはオキシコドンなどの医薬品を偽装した錠剤も含まれている[40]。他の薬物と混合されたり、医薬品として偽装されたりすることで、過剰摂取の場合に正しい治療法を判断することが難しくなり、その結果、死者が増えることになる[22]。フェンタニルと混合された他の薬物の服用による過剰摂取を防ぐために、薬物検査キットが利用可能である[41][42]。フェンタニルは製造が容易で力価が高いため、密造も密輸も容易であり、その結果、フェンタニルは他の乱用される麻薬に取って代わり、より広く使用されるようになった[43]。
麻酔
フェンタニルは、麻酔および鎮痛を目的としてしばしば静脈注射される[44]。麻酔を導入するために、プロポフォールやチオペンタールのような鎮静催眠薬および筋弛緩薬とともに投与される[45]。麻酔を維持するためには、吸入麻酔薬と共に追加のフェンタニルが使用されることがある[45]。内視鏡検査や手術などの処置中および救急外来において、15~30分の間隔で投与されることも多い[46][47]。
手術後の疼痛緩和目的で術中に用いると、麻酔中に必要な吸入麻酔薬の量を減らすことができる[45]。この薬物のバランスをとり、予想される刺激と患者の反応に基づいて薬物を滴定投与することで、処置の間中、血圧と心拍数が安定し、痛みを最小限に抑えながら麻酔からの覚醒を早めることができる[45]。
脊髄くも膜下麻酔
フェンタニルは、親油性であるため作用発現が早く(5~10分)、作用持続時間が中程度(60~120分)であることから、髄腔内(英語版)に投与されるオピオイドとしては最も一般的に使用されている[48]。高比重ブピバカインとフェンタニルとの組み合わせが最適である。フェンタニルのほぼ即時の作用発現により、手技中の内臓の不快感や吐き気さえも軽減される[49]。
産科
フェンタニルは、硬膜外無痛分娩および帝王切開時の脊髄くも膜下麻酔のために、硬膜外腔ないしは髄腔内に投与されることもある。フェンタニルは脂溶性が高いため、その作用はモルヒネよりも局所的であり、より広い範囲の鎮痛を得るためにモルヒネの使用を好む臨床医もいる[50]。最大効果発現までの時間が短く(約5分)、1回の投与で速やかに効果が消失し、比較的心血管系が安定することから、産科麻酔に広く使用されている[51]。産科では、母体から胎児への大量移行が起こらないよう、投与量を厳密に調節する必要がある。高用量では、薬物が胎児に作用して出生後の呼吸抑制を引き起こす可能性がある[51]。このため、妊婦で全身麻酔を導入する場合には、アルフェンタニル(英語版)やレミフェンタニルなどの作用時間の短い薬物の方が適している場合がある[52]。
疼痛管理
経鼻フェンタニル製剤の生物学的利用率は約70~90%であるが、鼻孔内凝固、咽頭からの嚥下、および誤った投与により、正確ではない。フェンタニルの経鼻投与は、救急用、緩和医療用ともに、50、100、200、400μgの用量で入手可能である(商品名Pecfent)。救急医療では、約900人の院外患者を対象とした前向き観察研究において、副作用の発現率が低く、疼痛軽減効果が期待できるフェンタニル経鼻投与の安全性が実証された[53]。
小児では、フェンタニルの経鼻投与は中等度から重度の疼痛の治療に有用であり、忍容性も良好である[54]。さらに、2017年の研究では、体重13kgまで、ないしは5歳までの小児におけるフェンタニルトローチの有効性が示唆された。トローチは、バッカル錠剤(口腔粘膜投与)とは対照的に、小児が十分な投与量をコントロールできるため、使用されやすい[55]。
慢性疼痛
フェンタニルは、がん性疼痛を含む慢性疼痛の管理にも用いられる[56]。多くの場合、経皮吸収パッチが使用される[40]。このパッチは、48~72時間かけてフェンタニルを皮膚から血流にゆっくりと放出することによって作用し、長時間の疼痛管理が可能となる[57]。一般に、経皮吸収率は一定の皮膚温度で一定であるため、投与量はパッチの大きさに基づいて決定される[57]。吸収率は多くの因子に依存している。体温、皮膚のタイプ、体脂肪の量、パッチを貼る場所などが大きな影響を及ぼす。また、メーカーによって使用される送達システムの違いも、個々の吸収率や投与経路に影響する。通常の状況下では、パッチは12~24時間以内にその効果を十分に発揮する。フェンタニル・パッチは、突出痛に対処するために、即効性のオピオイド(モルヒネまたはオキシコドンなど)と一緒に処方されることが多い[57]。フェンタニルが神経因性疼痛の患者に長期的な鎮痛効果をもたらすかどうかは不明である[58]。
突出痛
フェンタニルの舌下錠(英語版)は、速やかに溶解して舌下粘膜から吸収され、迅速な鎮痛をもたらす[59]。フェンタニルは脂溶性の高い化合物であり[59][60]、舌下投与でよく吸収され、一般に忍容性が高い[59]。このような剤形は、発症が迅速で持続時間が短く強度が強いことが多いがん性疼痛の突出痛(ブレークスルー)に特に有用である[61]。
緩和ケア
緩和ケアにおいて、経皮フェンタニルパッチは、以下のような患者に対して、限定的ではあるが決定的な役割を果たす。
- 他のオピオイドですでに安定している人で、嚥下障害が持続し、皮下投与など他の非経口経路に耐えられない人。
- 中等度から重度の腎不全のある人[62]。
- 経口モルヒネ、ヒドロモルフォン、またはオキシコドンの厄介な副作用がある場合[63][64]。
経皮パッチを使用する場合、患者は外部熱源(直射日光、暖房パッドなど)を最小限にするか避けるように注意しなければならないが、これは過剰な薬物の放出と吸収を誘発し、致命的な合併症を引き起こす可能性がある[65]。
戦傷医療
アフガニスタンにおけるアメリカ空軍パラレスキュー(英語版)の衛生兵は、即席爆発装置(IED)の爆発やその他の外傷による戦闘負傷者に、ロリポップの形をしたフェンタニルトローチを使用した[66]。棒を指にテープで固定し、飴を頬粘膜(英語版)でしゃぶらせる。十分なフェンタニルが吸収されると、鎮静状態、すなわち十分な鎮痛効果が得られた患者は一般的にロリポップを口から落とし、過剰摂取の可能性と関連するリスクが軽減される[66]。
呼吸困難
フェンタニルは、患者がモルヒネに耐えられない場合、または息切れにモルヒネが効きづらい場合に、息切れ(呼吸困難)を緩和するのに使用される。フェンタニルは、疼痛および息切れが重篤で強力なオピオイドによる治療が必要な緩和ケアの現場で、このような治療に有用である。ホスピスにおける終末期の呼吸困難の緩和にはクエン酸フェンタニルのネブライザー(噴霧)(英語版)が用いられている[67][68]。
その他
点鼻薬や吸入薬などの一部の投与経路では、一般に血中濃度が高くなるまでの時間が早く、より即効性の高い鎮痛が得られるが、特に過剰摂取時にはより重篤な副作用も生じる。これらの器具の中には、バッカル剤や経口薬と比較して、はるかに高価なものがあるが、その利点はわずかであるため、価格に見合わないものもある。フェンタニルの経鼻投与は、急性期病院内での管理においてモルヒネの静脈内投与と同等の効果があり、筋肉内注射よりも優れているようである[54]。
フェンタニルの患者制御経皮投与システム(patient-controlledtransdermalsystem: PCTS)が開発中であり、術後疼痛を治療するために、患者が皮膚からフェンタニルの投与を制御できるようにすることを目的としている[69]。この技術は、イオン導入により、10分間に40μgの塩酸フェンタニルをオンデマンドで投与する「あらかじめプログラムされた自己完結型の薬物送達システム」から構成されている。大手術後24時間までの中等度から重度の術後疼痛患者189人を対象とした2004年の臨床研究では、鎮痛が不十分であったために25%の患者が離脱した。しかしながら、PCTS法はプラセボよりも優れており、平均ビジュアルアナログスケール(VAS)(英語版)疼痛スコアが低く、有意な呼吸抑制作用がないことが示された[70]。
フェンタニルの最も一般的な副作用は、吐き気、嘔吐、便秘、口の渇き、傾眠、せん妄、無力感(asthenia)(英語版)などであり、10%以上の人が罹患する。頻度は低いが、3~10%の人に、腹痛、頭痛、疲労、食欲不振と体重減少、めまい、神経過敏、不安、抑うつ、インフルエンザのような症状、消化不良(dyspepsia)(英語版)、息切れ、呼吸抑制、無呼吸、尿閉が起こることがある。失語とも関連があるとされる[72]。フェンタニルはより強力な鎮痛薬であるにもかかわらず、モルヒネよりも吐き気が少なく、ヒスタミン誘発性のかゆみも少ない傾向がある[73]。
フェンタニルの作用時間は時に過小評価され、医療現場での危害につながってきた[74][75][76][77]。2006年、米国食品医薬品局(FDA)はいくつかの呼吸器系の死亡事故について調査を開始したが、英国の医師は2008年9月までフェンタニルのリスクについて警告を受けなかった[78]。 2012年4月、FDAは、フェンタニルスキンパッチへの偶発的な曝露により、12人の幼児が死亡し、さらに12人が重症化したと報告した[79]。
呼吸抑制
フェンタニルの最も危険な副作用は呼吸抑制であり[80]、二酸化炭素に対する感受性の低下により呼吸数が減少し、低酸素性脳損傷または死亡を引き起こす可能性がある。このリスクは、(麻酔時のように)気管チューブで気道が確保されている場合には減少する[81]。このリスクは、閉塞性睡眠時無呼吸症候群(英語版)の患者など特定の集団で高くなる[81]。
呼吸抑制のリスクを増大させる他の因子は以下の通りである[81]。
心血管系への影響
筋硬直
フェンタニルの大量ボーラスを迅速に投与した場合、声帯の筋硬直によって、全身麻酔時のバッグマスク換気が非常に困難になることがある。この作用の正確な機序は不明であるが、神経筋遮断薬を用いて予防および治療が可能である[81]。
鉛管現象
フェンタニルの顕著な特異的副作用には、呼吸不全を誘発する腹筋および横隔膜の硬直の突然の発現も含まれる;これは高用量でみられ、鉛管現象として知られている[85]。この症候群は、フェンタニルの過量投与による死亡の一因であると考えられている[86]。
鉛管現象はナロキソンによって逆転されるが、α-アドレナリン受容体を活性化するノルアドレナリンの放出、およびおそらくアセチルコリン受容体の活性化を介して引き起こされると考えられている[87]。
鉛管現象は、最も強力なオピオイド(今日では、フェンタニルとその類似体から成る)に特有のものであるが、ヘロインのような他のあまり強力でないオピオイドは、呼吸筋の軽度の硬直を生じるが、その程度ははるかに低い[88][87]。
フェンタニルは、毒性を生じるのに必要な量が予測できないため、ヒトにおいて例外的に高い過量投与リスクをもたらす[22]。フェンタニルのみに起因する過量投与による死亡のほとんどは、その医薬品形態において、平均25ng/mLの血清濃度で発生し、その範囲は5~27ng/mLである[90]。 多剤併用の状況では、約7ng/ml以上の血中フェンタニル濃度が死亡と関連している[91]。過量服薬例の85%以上で、少なくとも1つ他の薬物を含んでおり、混合物がどのレベルで致死的であるかを示す明確な相関関係はなかった。致死的な混合物の用量は、場合によっては3倍以上も異なっていた。このように他の薬物併用時の変動率の予測が極めて難しいため、致命的な事故を回避することは特に困難である[92]。
ナロキソンは、オピオイドの過剰摂取症状を完全に、あるいは部分的に元に戻すことができる[93]。2014年7月、英国の医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、特に小児において、経皮吸収型フェンタニル・パッチへの偶発的な曝露が生命を脅かす害をもたらす可能性について警告を発し、廃棄する前に粘着面を内側にして折りたたむべきであると助言した[94]。パッチは、フェンタニルの過剰摂取のリスクが最も高い小児から遠ざけておくべきである[95]。米国では、フェンタニルおよびフェンタニル類似物質が2017年に29,000人以上の死亡を引き起こし、以前の4年間よりも大幅に増加した[96][97]。
フェンタニルによる死亡の増加の中には、処方されたフェンタニルではなく、ヘロインと混合されたり、ヘロインとして販売されたりしている違法に製造されたフェンタニルに関連しているものもある[98]。フェンタニルの過剰摂取による死亡は、2015年9月以来、カナダでは引き続き公衆衛生上の全国的な懸念事項となっている[99]。2016年、ブリティッシュコロンビア州におけるフェンタニルの過剰摂取による死亡者は1日平均2人であった[100]。2017年、ブリティッシュコロンビア州における2017年1月から4月までの過剰摂取による死亡者は368人であり、死亡率は100%以上増加した[101]。
フェンタニルは、違法に製造されたオピオイドやベンゾジアゼピンだけでなく、ヘロインにも混入し始めている。コカイン、メタンフェタミン、ケタミン、MDMA、その他の薬物へのフェンタニルの混入はよくおこなわれている[102][103]。フェンタニルが混入されたヘロイン1キログラムは10万米ドル以上で取引される可能性があるが、フェンタニル自体は1キログラムあたり約6,000米ドルとはるかに安価に製造される可能性がある。米国に直接密輸されるフェンタニルおよびフェンタニル関連物質の主な供給源はメキシコと中国であるが、完成したフェンタニル粉末およびフェンタニル前駆体化学物質の供給源としてインドが台頭してきている[104][105]。英国内では、自国のフェンタニル生産が輸入に取って代わりつつあるため、英国の違法薬物市場はもはや中国に依存していない[106]。
オピオイド未投与の実験被験者の50%を死に至らしめる静脈内投与量(LD50)は「ラットで3mg/kg、ネコで1mg/kg、イヌで14mg/kg、サルで0.03mg/kg」であり[107]、マウスにおけるLD50は静脈内投与で6.9mg/kg、腹腔内投与で17.5mg/kg、経口投与で27.8mg/kgとされている[108]。ヒトにおけるLD50は不明である[109]。
2023年6月、米国とカナダにおける過剰摂取による死亡は再び記録的な数に達した。ウィーンに本部を置く国連薬物犯罪事務所(UNODC)の2023年の報告書によると、死亡者数の増加は使用者数の増加だけではなく、フェンタニル自体の致死作用に関連している。フェンタニルは、他の広く乱用されているオピオイドやアヘンよりもかなり毒性が強いため、特別な位置づけが必要だろう。小児における過剰摂取による死亡例についても、数字が懸念されている。JAMA networkの報告によると、1999年から2021年までの小児死亡例の37.5%がフェンタニルに関連しており、そのほとんどが青年(89.6%)と0~4歳児(6.6%)であった。UNODCによれば、「北米におけるオピオイド危機は衰えることなく、前代未聞の過剰摂取による死亡数となっている」[110][111]。
二次暴露による警察からの中毒誤報
2010年代後半、アメリカの一部のメディアは、警察官が粉末状のフェンタニルに触れたり、衣服についたフェンタニルを払ったりした後に入院したという話を報道し始めた[112][113]。フェンタニルへの局所的(または経皮的)および吸入暴露が中毒や過剰摂取を引き起こす可能性は極めて低く(非常に大量のフェンタニルに長期間暴露された場合を除く)、救急隊員や警察官などの初期対応者が、無傷の皮膚で偶発的に接触して、フェンタニル中毒となるリスクはほとんどない[114][115]。Journal of Medical Toxicology誌の2020年の論文では、「オピオイドは皮膚から効率的に吸収されず、空気中で運ばれる可能性も低いため、意図的でない曝露による中毒は極めて考えにくいというのが科学界のコンセンサスであることに変わりはない」と述べられている[116]。これらの症例で報告されている頻脈、過呼吸、悪寒などの症状は、フェンタニルの過剰摂取の症状ではなく、パニック発作と関連することの方が一般的であった[117]。
2021年の論文では、フェンタニルに対するこのような身体的恐怖により、駆けつけた警官が不必要な防護措置にさらに時間を費やすことになり、過剰摂取に対する効果的な救急対応が妨げられる可能性があること、また、メディアによる報道により、薬物を使用する人の周囲にいると危険であるという、より広範な社会的スティグマが続いてしまう可能性があることについての懸念が表明された[118]。
毒性学の専門家の多くは、警察官が単に触れただけで本当に過剰摂取になることに懐疑的である。ケース・ウェスタン・リザーブ大学の救急・中毒医学(addiction medicine)(英語版)専門のライアン・マリーノ医師によれば、「このようなことは一度も起きたことない。皮膚に触れたり、誤ってフェンタニルを吸い込んだりしたことによる過剰摂取は一度もない」[119]。
予防
フェンタニルの誤用と致命的な過剰摂取を防ぐための公衆衛生勧告が、米国疾病管理予防センター(CDC)によって出されている。最初のHAN勧告(Health Alert Network Advisory: 特定の事件や状況に対する重要で一刻を争う情報を提供し、保健当局者、検査技師、臨床医、一般市民による即時の行動や注意を喚起し、最高レベルの重要性を伝える」)は、2015年10月中に発令された[120]。続くHAN勧告は2018年7月に発令され、フェンタニルの乱用や非オピオイドとの混合による死亡者数の増加を警告した[121]。2020年12月のHAN勧告は以下の通りである。
主に、違法に製造されたフェンタニルが関与する過剰摂取による死亡が急激に増加したため、米国全土における薬物過剰摂取による死者は大幅に増加した。薬物過剰摂取による死亡は憂慮すべき勢いで加速し、COVID-19パンデミックに対する広範な緩和措置の実施と同時期、2020年3月から2020年5月にかけての最大の増加が記録された。メタンフェタミン関連の過剰摂取による死亡も大幅に増加した[122]。
2019年5月から2020年5月までの12か月間に81,230人の薬物過剰摂取による死亡が発生したが、これは米国で記録された12か月間の薬物過剰摂取の件数としては過去最大であった。CDCは、この増加に対抗するために以下の4つの行動を推奨した[122]。
- 地域では、ナロキソンの配布と使用、過剰摂取防止教育を拡大する必要がある。
- 薬物乱用の治療を周知し、受診しやすくする。
- 過剰摂取のリスクが最も高い人に早期に介入する。
- 過剰摂取発生の発見率を改善し、より効果的な対応を促進する[122][123]。
もう一つの取り組みは、"One Pill Can Kill(一錠でも死ぬ)"と呼ばれる米国麻薬取締局(DEA)によるソーシャルメディアキャンペーンである[71]。このソーシャルメディアキャンペーンの目的は、アメリカで大規模な過剰摂取の蔓延を招いている偽造薬の蔓延に対する認識を広めることである。このキャンペーンでは、偽造薬と本物の錠剤の違いも示している。また、薬物中毒やリハビリテーションのためのリソースも提供している[124]。
分類
フェンタニルは、スフェンタニル(英語版)、アルフェンタニル(英語版)、レミフェンタニル、カルフェンタニルを含むフェニルピペリジン(英語版)系の合成オピオイドである[125][126]。カルフェンタニルのようないくつかのフェンタニル類似体(英語版)は、最大10,000倍モルヒネより強力(英語版)である[127]。
構造活性
オピオイドの構造には多くの類似点がある。コデイン、ヒドロコドン、オキシコドン、ヒドロモルフォンなどのオピオイドがモルヒネの単純な修飾によって合成されるのに対し、フェンタニルとその類縁物質はペチジンの修飾によって合成される[81]。ペチジンは完全合成オピオイドであり、アルフェンタニルやスフェンタニルなどのフェニルピペリジン系の他の化合物はこの構造の複雑なバージョンである[81]。
他のオピオイドと同様に、フェンタニルは脂溶性が高く、タンパク質と結合し、生理的pHでプロトン化される弱塩基である[81]。これらの因子はすべて、フェンタニルが迅速に細胞膜を通過することを可能にし、体内および中枢神経系における迅速な作用に寄与する[73][125]。
フェンタニル類似体
フェンタニル類似体は、分子のあらゆる位置に様々な化学的修飾を施したフェンタニルの一種であるが、それでもその薬理作用は維持されているか、あるいはそれを上回ることさえある。フェンタニル類似物質の多くは、違法な方法で使用されることのみを目的に合成されるため、「デザイナー・ドラッグ」と呼ばれている。フェンタニル類似体であるカルフェンタニルは、4位にカルボン酸基が付加されている。カルフェンタニルはフェンタニルの20~30倍以上の効力があり、違法薬物販路で一般的である。この薬物は、ゾウやその他の大型動物の鎮静に一般的に使用されている[128]。
作用機序
フェンタニルは、他のオピオイドと同様に、オピオイド受容体に作用する。これらの受容体はGタンパク質共役受容体であり、7つの膜貫通部分、細胞内ループ、細胞外ループ、細胞内C末端、および細胞外N末端を含む[81]。細胞外N末端は、異なるタイプの結合基質を区別する上で重要である[81]。フェンタニルが結合すると、下流のシグナル伝達は、cAMP産生の減少、カルシウムイオンの流入の減少、カリウムの流出の増加などの抑制効果をもたらす[81]。これは、中枢神経系の上行経路を抑制し、痛みの知覚を変化させることによって痛覚閾値を増加させる。これは侵害受容(英語版)シグナルの伝播を減少させることによって媒介され、結果として鎮痛効果をもたらす[130][131]。
μ受容体作動薬として、フェンタニルはモルヒネの50~100倍強力に結合する[130]。フェンタニルはδおよびκオピオイド受容体にも結合できるが、親和性は低い。フェンタニルは脂溶性が高く、中枢神経系に浸透しやすい[73][125]。フェンタニルは、伝導速度の遅い非髄鞘型C線維に対する主要な作用で「第二の痛み」を減弱させるが、神経障害性疼痛および細い髄鞘型A線維を介した「第一の痛み」シグナルにはあまり効果がない[81]。
フェンタニルは、μ受容体への作用を介して、以下の臨床効果を強く発現することができる[132]。
- 脊髄より上位の鎮痛(μ1受容体)
- 呼吸抑制 (μ2)
- 身体依存
- 筋硬直
また、κ受容体作動により、鎮静および脊髄レベルでの鎮痛をもたらす[132]。
薬理作用
生体試料中からの検出
フェンタニルは、乱用を監視し、中毒の診断を確認し、または鑑識を支援するために、血液または尿中で測定されることがある。市販のイムノアッセイが最初のスクリーニング検査としてしばしば使用されるが、確認および定量には一般にクロマトグラフィーが使用される。フェンタニルの存在を検出するために、マーキス試薬(Marquis reagent)(英語版)を使用することもある。ホルムアルデヒドと硫酸を使用し、アヘン薬物と接触させると溶液が紫色に変化する。血中または血漿中のフェンタニル濃度は、薬を治療的に使用している人では0.3~3.0μg/L、中毒者では1~10μg/L、急性過剰摂取の被害者では3~300μg/Lの範囲にあると予想される[133]。ペーパースプレー質量分析法(Paper spray ionization)(英語版)(PS-MS)は、サンプルの初期検査に有用である[134][135]。
薬害軽減目的での検出
フェンタニルは、市販のフェンタニル検査試験紙または検査試薬を使用して、薬物サンプル中から定性的に検出することができる。薬害削減の原則に従い、これらの検査試薬は尿ではなく、薬物サンプルに直接使用する。検査用のサンプルを調製するには、約10mgの薬物を(すなわち1セント硬貨のエイブラハム・リンカーンの頭髪程度の大きさ)ティースプーン1杯(5mL)の水に希釈する必要がある[136]。ノートルダム大学のリーバーマン博士の研究室では、希釈が不充分な場合、BTNXフェンタニル検査試験紙はメタンフェタミン、MDMA、ジフェンヒドラミンに対して偽陽性となることが報告されている[137]。
核磁気共鳴分光法特性
核磁気共鳴分光法(NMR)は、存在する官能基に応じて分子の原子の相対的な化学環境に依存し、化合物を調製する化学者にとっては有用な情報が得られる。合成製剤の場合、フェンタニルはプロトンNMRおよび炭素NMRによって特性決定され、確認されている。
プロトン[138]
1H NMR (600 MHz, CDCl3) δ 7.48−7.37 (m, 3H), 7.33−7.27 (m, 2H), 7.25−7.17 (m, 3H), 7.13−7.05 (m, 2H), 4.88−4.71 (br, 1H), 3.83−3.47 (br, 2H), 3.20−3.09 (br, 2H), 3.09−2.99 (br, 2H), 2.82−2.70 (br, 2H), 2.13−1.99 (br, 4H), 1.94 (q, J = 7.4, 2H), 1.01 (t, J = 7.4, 3H)
炭素[138]
13C NMR (150 MHz, CDCl3) δ 174.0, 138.1, 137.0, 129.9, 129.8, 129.0, 128.9, 128.7, 127.0, 59.1, 52.6, 50.7, 31.3, 28.4, 28.0, 9.5
フェンタニルは、4-アニロピペリジン系の合成オピオイドである[139]。フェンタニルの合成は、科学文献に報告されている4つの主な方法、すなわち、ヤンセン法、ジークフリード法、グプタ法、またはスー法のいずれかによる[140][141]。
ヤンセン法
ポール・ヤンセン(Paul Janssen)が1964年に特許を取得したオリジナルの合成法では、N-ベンジル-4-ピペリドンからベンジルフェンタニル(英語版)を合成する。得られたベンジルフェンタニルは、ノルフェンタニル(英語版)の原料として使用される。塩化フェネチルとの反応によってフェンタニルを形成するのはノルフェンタニルである[142]。
ジークフリード法
ジークフリード(Siegfried)法では、最初にN-フェネチル-4-ピペリドン(英語版)(NPP)を合成する。この中間体は還元的アミノ化され、4-アニリノ-N-フェネチルピペリジン(英語版)(4-ANPP)になる。フェンタニルは、4-ANPPと塩化アシルとの反応後に生成される[143]。ジークフリード法は、2000年代初頭に国内外の秘密製造工場でフェンタニルの製造に使用されている[144]。
グプタ法
グプタ(Guptaまたはワンポット合成)法は4-ピペリドンから開始し、4-ANPP/NPPの直接使用を省略する。むしろ、化合物は不純物または一時的な中間体としてのみ形成される。2021年前半、米国麻薬取締局は、押収されたフェンタニルのサンプルにおいて、グプタ法が主たる合成経路であることを発見した[145]。2022年、ブラガと共同研究者らは、グプタ法について記載されたものと同様の試薬を使用する、連続流を伴うフェンタニルの合成について記載した[138]。
スー法
スー(Suhまたは'total synthesis')法は、ピペリジン前駆体の直接的な使用を省略し、その場で環系構造を作り出すことを優先する[146]。
フェンタニルは、比較的新しく設立されたヤンセンファーマの商標の下、ポール・ヤンセン(英語版、オランダ語版)によってベルギーで初めて1959年に合成された[147]。ペチジン(メペリジン)に類似した化学物質をオピオイド活性についてスクリーニングすることによって開発された[148]。フェンタニルは広範に使用され、クエン酸フェンタニル(フェンタニルとクエン酸を1:1の化学量論比で結合して形成される塩)の開発に繋がった[149]。クエン酸フェンタニルは、1968年に全身麻酔薬として医療用に使用されるようになり、McNeil Laboratories(英語版)社によってSublimazeの商品名で製造された[150]。日本では三共株式会社(現第一三共)よりフェンタネストとして、1972年より販売開始となった[151][注 1]。いずれも注射薬であり、作用時間は短い。
1990年代半ば、ヤンセンファーマは、Duragesicパッチを開発し、臨床試験に導入した。Duragesicパッチは、不活性アルコールゲルにフェンタニルを注入した製剤であり、48~72時間にわたって効果が持続する。一連の臨床試験が成功した後、Duragesicフェンタニルパッチは医療現場に導入された[153]。日本では2008年にデュロテップMTパッチとして販売開始となった[154]。
パッチに続いて、クエン酸フェンタニルを不活性充填剤と混合した味付けロリポップが1998年にActiqという商品名で発売され、慢性疼痛の突出痛に使用するフェンタニルの最初の速効性製剤となった[155]。
2009年、米国食品医薬品局(FDA)は、オピオイドに耐性のある被験者のがん疼痛管理用の新しい剤形のフェンタニル製剤であるOnsolis(フェンタニルバッカルフィルム)を承認した[156]。この製剤は、BEMA(BioErodible MucoAdhesive)と呼ばれる薬物送達技術を使用しており、様々な用量のフェンタニルを含む溶解可能な小さなポリマーフィルムを頬の内側に貼付するものである[156]。
フェンタニルの、米国麻薬取締局(DEA)の行政管理物質コード番号(Administrative Controlled Substances Code Number)(英語版)(ACSCN)は9801である。その年間総製造割当量は、2015年と2016年の2,300kgから、2021年にはわずか731.452kgと、68.2%近く減少している[157]。