フベンティーノ・ローサス
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フベンティーノ・ローサス・カデナス(スペイン語: Juventino Rosas Cadenas, 1868年1月25日 - 1894年7月9日)はメキシコの作曲家・ヴァイオリニスト、バンドマスター。
グアナフアト州サンタ・クルス・デ・ガレアナにおいて、貧しい先住民のオトミ族に生れる。7歳から、教会の鐘つきから街路でのフィドル演奏にいたるまで、ありとあらゆる音楽関係の仕事に就いて生計を立てる。立志出世のために音楽を用い、靴を一足買うためにワルツを作曲したという。メキシコシティに移り、間もなく楽士や作曲家として名をなす。12歳で、市内で最も有名なダンス・バンドに加わりヴァイオリンを演奏し、10代前半で、有名な歌手アンヘラ・パラルタの伴奏者を務めるようになった。国立音楽院に2度入学して一時的に学んだものの、たいていは独学であった。その後オーケストラやブラスバンドを率いて、国際的な演奏旅行を行なった。
最も有名な作品は、ワルツ『波濤を越えて "Sobre las Olas"』である。この古典的なワルツは、『ドナウ川のさざなみ』とともにしばしばウィンナ・ワルツと混同されているが、最初に出版されたのは、1884年にルイジアナ州ニューオーリンズで、ローサスが有名なメキシコのバンドとともに、同地の万博(万国産業綿花百年記念博覧会(英語版))に参加していた時期のことだった。この楽曲はその後メキシコとヨーロッパにおいて、1888年と1891年に再版された。このため誤ってこれらの年代が、初版の時期として言い伝えられている。
1893年にはシカゴ万博にも出席した。その翌年、キューバのスルヒデロ・デ・バタバノにて26歳で急死。死因は骨髄炎とされる。遺骸は1909年にメキシコに戻され、メキシコシティのミゲル・イダルゴにあるパンテオン・シヴィル・デ・ドローレス(スペイン語版)に埋葬された。
ローサスが生まれたサンタクルスの町は、「サンタ・クルス・デ・ガレアナ」を経て、1939年にサンタ・クルス・デ・フベンティーノ・ローサス(スペイン語版)と改称された。