フランソワ・カロン
ウィキペディア フリーな encyclopedia
フランソワ・カロン(フランス語: François Caron、1600年 - 1673年4月5日)は、オランダに亡命したフランスのユグノー教徒。オランダ東インド会社に30年以上勤務し、最終的にはバタヴィア商務総監(植民地総督の次席)にまで昇進した[1] 。後にはフランス東インド会社の長官(1667–1673)を務めた[2]。
概要 生年月日, 出生地 ...
フランソワ・カロン François Caron | |
---|---|
生年月日 | 1600年 |
出生地 |
神聖ローマ帝国 ブラバント公国 ブリュッセル |
没年月日 | 1673年4月5日 |
死没地 | ポルトガル沖 |
配偶者 |
江口氏 コンスタンチヤ・バウデーン |
初代フランス東インド会社長官 | |
在任期間 | 1667年 - 1673年 |
第8代オランダ領台湾行政長官 | |
在任期間 | 1644年 - 1646年 |
第8代オランダ商館長 | |
在任期間 | 1639年2月2日 - 1641年2月13日 |
テンプレートを表示 |
閉じる
フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
しばしば、日本に渡来した最初のフランス人とされる[3]。確かに当時南ネーデルラントに属したブリュッセル生まれのフランス系の亡命ユグノー教徒であるが[4]、実際にはフランス国民となったのは、後にフランス東インド会社の社長になることを受諾したときである[5]。