プファルツ選帝侯領
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プファルツ選帝侯領(プファルツせんていこうりょう、ドイツ語: Kurfürstentum Pfalz)またはクーアプファルツ(独: Kurpfalz)は、神聖ローマ帝国の選帝侯の一人であったプファルツ選帝侯の領土の総称[1]。あくまでも正式な君主号はライン宮中伯であり、その領土もライン宮中伯領(Pfalzgrafschaft bei Rhein)と呼ぶことになる。
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公用語 | ドイツ語 | ||||||||||||||||
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首都 | ハイデルベルク(1085年 - 1690年) デュッセルドルフ(1690年 - 1720年) マンハイム(1720年 - 1803年) | ||||||||||||||||
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- プファルツ選帝侯領
- Kurfürstentum Pfalz
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←1085年 - 1803年 →
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→(国旗) (国章)
1789年時点のプファルツ選帝侯領。1. フランケンタール 2. マンハイム 3. ハイデルベルク(市) 4. アルツァイ 5. バッハラッハ 6. ゲルマースハイム 7. クロイツナハ 8. ノイシュタット 9. ラウターン 10. ラウターエッケン 11. オッペンハイム 12. ジンメン 13. シュトロームベルク 14. フェルデンツ 15. ボックスベルク 16. ブレッテン 17. ハイデルベルク 18. ラーデンブルク 19. リンデンフェルス 20. モースバッハ 21. オッツベルク 22. ウムシュタット
プファルツ選帝侯領は後年にライン・プファルツと知られる地方よりも、ライン川西側一帯、現ドイツ・ラインラント=プファルツ州のプファルツ地方およびフランスのアルザス地方(1418年から1766年まではゼルツ管轄領)に遥かに多くの領域を有していた。プファルツ選帝侯領には同時にハイデルベルク北部やマンハイムとマインツを含むライン川東側一帯も含まれていた。