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プロジェクト・フラ
1945年の軍事作戦 ウィキペディアから
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プロジェクト・フラ(英語: Project Hula)は、太平洋戦争末期、ソ連対日参戦に備えてアメリカ合衆国(米国)とソビエト連邦(ソ連)とが合同で実施した極秘軍事作戦である[1][6]。
概要
1945年5月から9月にわたって、米国はソ連に対し掃海艇55隻・上陸用舟艇30隻・護衛艦(タコマ級フリゲート)28隻など計149隻の艦船を無償貸与[7]。この時期、アラスカ準州コールドベイのアメリカ軍(米軍)基地に米軍スタッフ約1500人が常駐、ソ連兵約12000人が集められ艦船やレーダーなどの習熟訓練が施された[1][6]。
1943年に建造された哨戒フリゲートのアレンタウンの場合、1945年4月7日この作戦に投入されることになり、6月7日コールドベイに向かった[3]。7月12日レンドリース法によりソ連海軍に引き渡され、ЭК-9(エーカー・ジェーヴィチ)と命名された[注釈 1][3]。
貸与された艦船は樺太南部や千島列島への侵攻で使用された[1]。
国際ジャーナリストの高橋浩祐は、「このプロジェクト・フラは日本の近現代史に多大な影響を与えてきた重要な史実だ。しかし、戦後長らく歴史に埋もれてきたためか、日本では今もよく知られていない」「難局に対する処方箋(しょほうせん)は歴史だ。にもかかわらず、プロジェクト・フラという史実は日本であまり知られてこなかった。インテリジェンスの情報収集や分析判断を含め、日本という国家のあり方を、今もなお改めて問うているように思えて仕方がない」と指摘している[8]。
また、高橋氏は「(プロジェクト・フラから)77年後の2022年5月、今度はロシア侵攻を受けるウクライナ支援のためにレンドリース法が発効した。かつては米国がソ連に勝ってもらおうとして施したことが、今度はその継承国のロシアを勝たせないために適用されている。まさに歴史の皮肉だ」と指摘している[7]。
ジャーナリストの粟野仁雄は、「事実は北海道新聞の報道後、釧路新聞と根室新聞が報じたが、全国紙は無視した。(中略)現代史の中で語られる出来事は、今の政治に直結しているケースが多いため、こうしたことは多い。日露首脳会談のときだけ賑やかになる北方領土問題も、その実、4島をめぐる現代史の根本事実すら国民には知らされていない」と発言している[9]。
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参考文献
- (1997年). “ Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan ” (PDF). Washington, D.C.: Naval Historical Center. 2017年12月31日閲覧。ISBN 0-945274-35-1 Russell, Richard A.
- イーゴリ・サマリン「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」『サハリン郷土州博物館紀要No.3』、2011年3月[1][6]
脚注
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