ヘンリー・ハレック
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ヘンリー・ウェイガー・ハレック(Henry Wager Halleck、1815年1月16日-1872年1月9日)は、アメリカ陸軍の士官であり、学者、法律家である。軍事研究で著名な専門家であるハレックは、軽蔑的な「オールド・ブレインズ」(古い脳)という渾名で呼ばれた。カリフォルニア州の州昇格では中心人物となり、成功した法律家および土地開発者となった。南北戦争の初期、西部戦線で北軍の上級指揮官となり、続いて全北軍の総司令官を約2年間務めた。西部戦線ではハレックの部下だったユリシーズ・グラント大将の戦場での勝利がハレックの経歴を上げることに貢献し、1864年から戦争の残り期間、グラントがハレックに代わって総司令官に就任したときは、ハレックが陸軍の参謀総長に「昇進」した。
概要 ヘンリー・ウェイガー・ハレック Henry Wager Halleck, 渾名 ...
ヘンリー・ウェイガー・ハレック Henry Wager Halleck | |
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ヘンリー・ウェイガー・ハレック将軍 | |
渾名 | オールド・ブレインズ(古い脳) |
生誕 |
1815年1月16日 ニューヨーク州オナイダ郡 |
死没 |
1872年1月9日(56歳没) ケンタッキー州ルイビル |
所属組織 | アメリカ合衆国陸軍 |
軍歴 | 1839年-1854年 / 1861年-1872年 |
最終階級 | 少将 |
指揮 |
アメリカ陸軍総司令官 西部戦線 ジェイムズ軍事地区 南部地区 |
戦闘 | |
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ハレックは、戦闘の十分な準備と素早く攻撃的な行動に対する防御的要塞化の価値を強く信じる慎重な将軍だった。軍隊の階層の頂点にある者として管理、兵站および政治を知悉していたが、ワシントンD.C.での役職から野戦を効果的に統制することはほとんどできなかった。エイブラハム・リンカーン大統領はかってハレックのことを、「一級の事務官以上のものではない」と表現したことがあった[1]。