ホワイトオーク湿地の戦い
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ホワイトオーク湿地の戦い(ホワイトオークしっちのたたかい、英: Battle of White Oak Swamp)は、南北戦争2年目の1862年6月30日、七日間の戦い(半島方面作戦)の一部としてバージニア州ヘンライコ郡で起きた戦闘である。北軍ポトマック軍が南東のジェームズ川方向に後退するに従い、ウィリアム・B・フランクリン少将が指揮するその後衛部隊が、ホワイトオーク橋の渡しでストーンウォール・ジャクソン師団の進軍を止めさせ、砲撃戦となった。一方2マイル (3 km) 南のフレイザー農園では、グレンデイルの戦いという大きな会戦が起こっていた。ホワイトオーク湿地の戦いは通常大きなグレンデイルの戦いの一部だと見なされている。フランクリンの第6軍団に抵抗されたために、ジャクソンはロバート・E・リー将軍から命じられていたグレンデイルで北軍に対して統合して攻撃を掛けるという作戦に加われなかった。このホワイトオーク湿地の戦いは決着が付けられなかった。北軍は崩壊を避けられ、マルバーンヒルで強力な防御陣地を布くことが可能になった。
概要 ホワイトオーク湿地の戦い Battle of White Oak Swamp, 時 ...
ホワイトオーク湿地の戦い Battle of White Oak Swamp | |||||||
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南北戦争中 | |||||||
ホワイトオーク湿地橋での戦い 1862年6月、アルフレッド・R・ウォード画 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
北軍 | 南軍 | ||||||
指揮官 | |||||||
ウィリアム・B・フランクリン | ストーンウォール・ジャクソン | ||||||
被害者数 | |||||||
100名まで[1] |
総計15名 戦死3名 負傷12名[2] |
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