ボノ・マンソ
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ボノ・マンソ (Bono Manso) は、ガーナ共和国の中央部、ブロング=アハフォ州(Brong-Ahafo)、熱帯雨林帯の北端でサバンナと接する好立地に位置する13世紀から17世紀にかけてサハラ交易で繁栄したとされる町である。
ボノ・マンソは、国家名として呼称する歴史研究者が散見されるが、Tekyiman人の口頭伝承によると国家名でなく、ボノ国の首都であったようである。そのことは、「ボノの国のあるところ」という文字通りの意味が示しているように思われる。ボノという名前は、(ボノ以外の話者によるとBrongと発音されるが)Twi語のボノ地方方言を話す人々のことを指し、この名称は、ガーナのブロング・アハフォ地方の南西部を除いた大部分を占める統合的な感覚(一体感)についても用いられる。もともとボノという名前は、特定の国家のことを想定する名前であった。
ところで、ガーナの初期国家についての最古の記録のひとつは、1629年にオランダで作成された地図であるが、その地図には、ボノのことをBonnoeと記している。名前や位置から考えてTekyimanの人々の主張の通りと思われる。これがそうであるなら、ボノ・マンソというのは、ボノ国の首都の名前であることをかえって裏付けていると思われる。
Tekyimanの口頭伝承ではボノというのは、「先駆者」という概念で用いられる。つまり全ての種のはじまりという意味である。そしてボノ国家は、現在のブロング・アハフォ地方で最初に発展した国家だからである。このような主張は、ボノという名称が酒宴や祭りのような状況で太鼓を敲いて歌う歌の中からその名前をとったことが裏付けられる。