マーガレット・キャヴェンディッシュ
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ニューカッスル=アポン=タイン公爵夫人マーガレット・ルーカス・キャヴェンディッシュ(英語: Margaret Lucas Cavendish, Duchess of Newcastle-upon-Tyne、1623年? - 1673年12月15日)は、17世紀の清教徒革命(イングランド内戦)から王政復古期のイングランドの貴族、哲学者、科学者、文人である。称号はしばしばニューカッスル公爵夫人(Duchess of Newcastle)と略されることもある。17世紀の特異で画期的な女性作家・哲学者として、称賛と批判の両方を浴びてきた人物である。
マーガレット・キャヴェンディッシュ | |
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肖像画 | |
誕生 |
マーガレット・ルーカス 1623年頃 コルチェスター、セント・ジョンズ・アビー |
死没 |
1673年12月15日 ノッティンガムシャー、ウェルベック・アビー |
墓地 | ウェストミンスター寺院 |
言語 | 英語 |
市民権 | イングランド |
ジャンル | 詩、戯曲、SF小説、評論 |
代表作 | 『光り輝く世界』 |
配偶者 | 初代ニューカッスル公ウィリアム・キャヴェンディッシュ |
影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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ウィキポータル 文学 | |
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詩人、哲学者、散文ロマンス作家、エッセイスト、劇作家であり、ほとんどの女性作家が出版を匿名で行っていた時代に自分の名前を明らかにして作品を刊行した。著作の主題はジェンダー、権力、習慣、科学、哲学、文芸評論など、多岐にわたっている。ユートピア的ロマンスである『光り輝く世界』(The Blazing World)はサイエンスフィクションの最初期の例である[1]。マーガレットは自然哲学と近世の科学について幅広く出版活動を行ったことで名高い[2]。10作を越える自作を発表しており、改訂版なども含めると全21作を刊行している[3]。哲学者としては17世紀のアリストテレス主義や機械論を拒絶し、生気論的なモデルのほうを好んだ[3]。1667年、ロンドンの王立協会に出席した初めての女性となった[4]。
コルチェスター近郊のセント・ジョンズ・アビーにある荘園で暮らしていたルーカス一族の娘で、著名な王党派であるサー・ジョン・ルーカスやサー・チャールズ・ルーカスの妹である[5]。イングランド王妃ヘンリエッタ・マリアの侍女としてともにフランスに亡命した。1645年に当時はまだ侯爵であったウィリアム・キャヴェンディッシュの2人目の妻となり、その後夫が初代ニューカッスル公爵となるのにともなってニューカッスル公爵夫人と呼ばれるようになった[6]。