ムハンマド6世 (ナスル朝)
ナスル朝第10代君主 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
ムハンマド6世(アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・ブン・イスマーイール, アラビア語: أبو عبد الله محمد بن إسماعيل, ラテン文字転写: Abū ʿAbd Allāh Muḥammad b. Ismāʿīl, 1333年3月18日 - 1362年4月27日)、ラカブではアル=ガーリブ・ビ=ッラーヒ(アラビア語: الغالب بالله, ラテン文字転写: al-Ghālib bi 'llāh,「神の恩寵による勝利者」の意)またはアル=ムタワッキル・アラー=ッラーフ(アラビア語: المتوكل على الله, ラテン文字転写: al-Mutawakkil ʿAlā ’llāh,「神を頼りにする者」の意)は、第10代のナスル朝グラナダ王国の君主である(在位:1360年6月または7月 - 1362年4月13日)。また、カスティーリャにおける通り名であるエル・ベルメホ(スペイン語: el Bermejo,「赤毛の者」の意)の名でも知られている。
ムハンマド6世 أبو عبد الله محمد بن إسماعيل | |
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グラナダのスルターン | |
在位 | 1360年6月または7月 - 1362年4月13日 |
全名 | アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・ブン・イスマーイール |
出生 |
1333年3月18日 グラナダ(推定) |
死去 |
1362年4月27日 タブラーダ(セビーリャ近郊) |
王朝 | ナスル朝 |
父親 | イスマーイール・ブン・ムハンマド |
宗教 | イスラム教 |
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ムハンマド5世(英語版)とイスマーイール2世の再従兄弟であり義兄でもあったエル・ベルメホは1359年8月にクーデターを起こしてムハンマド5世を廃位し、イスマーイール2世をスルターンに擁立して実権を掌握した。しかし、イスマーイール2世と対立したことから1360年6月か7月にスルターンを殺害し、自らムハンマド6世としてスルターンに即位した。その後、ムハンマド5世が進めていたカスティーリャとの同盟政策を放棄して1360年10月にアラゴン王ペーラ4世(ペドロ4世)と同盟を結び、カスティーリャとアラゴンの間で起こっていた二人のペドロの戦争(英語版)ではアラゴン側に付いた。しかし、この政策は1361年5月にアラゴンが単独でカスティーリャとの講和に応じたことでカスティーリャからの攻撃を招く結果となった。
カスティーリャ王ペドロ1世は1361年8月に亡命先のマリーン朝から帰国したムハンマド5世と同盟を結んでナスル朝の領内に侵攻した。この同盟に対する戦争では一時的に勝利を収めたものの、1362年2月以降はムハンマド5世とペドロ1世が勝利を重ね、自らの地位を維持できないと判断したムハンマド6世は4月13日にグラナダを脱出し、ムハンマド5世による復位を許した。その後はセビーリャに向かいペドロ1世に慈悲を願ったものの、ムハンマド6世とアラゴンの同盟に憤慨していたペドロ1世は4月27日にセビーリャ近郊のタブラーダの城でムハンマド6世を殺害し、その首をグラナダに送った。