モレット・ダ・ブレシア
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アレッサンドロ・ボンヴィチーノ、またはブオンヴィチーノ(伊:Alessandro Bonvicino、またはBuonvicino)は、イタリアの盛期ルネサンス期の画家である。1498年ごろに生まれ、おそらく1554年12月22日に没した。一般的にモレットとしてより知られているが、イタリア語ではイル・モレット・ダ・ブレシア(ブレシアのムーア人)と呼ばれる。ブレシアの出身で、ほとんどブレシアで制作した。画家の年代が記された作品は1524年から1554年までの期間に及ぶが、すでに1516年にモレットは師匠として認められていた。主にブレシアとその周辺の教会で、落ち着いた祭壇画を制作する画家であったが、ベルガモ、ミラノ、ヴェローナ、アソラでも制作した。多くの作品が本来、置かれた教会に残っている。ほとんどがカンヴァス上の作品であるが、大きな作品の多くは板絵である。素描については、ほんのわずかしか現存していない[1]。
概要 モレット・ダ・ブレシア Moretto da Brescia, 本名 ...
モレット・ダ・ブレシア Moretto da Brescia | |
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『モレット・ダ・ブレシアの肖像』 (1654) カルロ・リドルフィ作 | |
本名 | アレッサンドロ・ボンヴィチーノ |
誕生日 | 1498年ごろ |
出生地 | ロヴァート、イタリア |
死没年 | 1554年12月 |
国籍 | イタリア |
運動・動向 | 盛期ルネサンス |
芸術分野 | 絵画 |
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モレットはまたわずかの肖像画を描いたが、これらはより影響力が大きかった。 1526年のロンドン・ナショナル・ギャラリーにある『男性の肖像』は、イタリアで最も初期の独立した全身肖像画のようである。モデルは明らかに裕福な貴族であるが、支配階級の子息のような特徴を示していないため一層意外である。この形式ならびに男性が寄りかかる柱によって大半が遮断されている外観の背景は、16世紀半ばの最も重要な肖像画家の1人である、モレットの主な助手ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニによって採用された[2]。