ヨハン・ヤーコプ・フォン・ヴンシュ
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ヨハン・ヤーコプ・フォン・ヴンシュ(Johann Jakob von Wunsch、1717年12月22日、ハイデンハイム(英語版)、ヴュルテンベルク - 1788年10月18日、プレンツラウ)はプロイセン王国の歩兵大将で、特に軽歩兵の指揮に秀でていた。彼はヴュルテンベルクの毛皮職人の息子であり、長い軍歴の中で数か国の軍隊に仕えている。 18歳になって間もなく、父親によってヴュルテンベルク公国の軍に送り込まれた。その連隊に属し、彼は1737年に、バルカン半島でオスマン帝国と戦うオーストリア軍を支援している。そして1748年、プロイセン公子ハインリヒの目に留まり、七年戦争の勃発とともにプロイセン軍 (Prussian Army) に入隊すると、義勇大隊 (de:Freibataillon) を率いて数々の奇襲や小競り合いを戦い抜き、オーストリア軍に大損害を与えた。 なお1778年、ヴンシュの部隊がプロイセンの国境を越えてボヘミアへ侵入すると、それがバイエルン継承戦争の端緒となっている。
概要 ヨハン・ヤーコプ・フォン・ヴンシュ Johann Jakob von Wunsch, 生誕 ...
ヨハン・ヤーコプ・フォン・ヴンシュ Johann Jakob von Wunsch | |
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生誕 |
1717年12月22日 ヴュルテンベルク ハイデンハイム・アン・デア・ブレンツ(英語版) |
死没 |
1788年10月18日 プロイセン王国 プレンツラウ(英語版) |
最終階級 | 歩兵大将 |
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そして平和が訪れると、1763年にフリードリヒ・アウグスト・フォン・フィンク(英語版)中将の後任として第12歩兵連隊の指揮官となった。フリードリヒ大王の後継者、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世は彼を歩兵大将に昇進させ、プロイセンの貴族に叙した。