ヨークの戦い (867年)
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ヨークの戦い(ヨークのたたかい)とは、867年3月21日にヨークで発生した戦闘である。ラグナル・ロズブロークの息子であるイヴァール・ラグナルソン(英語版)やウッバ・ラグナルソン(英語版)率いる大異教軍と、 エッラ王(英語版)・オスバート王(英語版)率いるノーサンブリア軍との間で発生した。
概要 ヨークの戦い, 時 ...
ヨークの戦い | |||||||
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ヴァイキングのイングランド遠征(英語版)中 | |||||||
現在のヨークの街並み | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
大異教軍 | ノーサンブリア王国 | ||||||
指揮官 | |||||||
イヴァール・ラグナルソン(英語版) (イマール・ラグナルソン(英語版)?) ウッバ・ラグナルソン(英語版) |
エッラ王(英語版) † オスバート王(英語版) † |
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ヨークはかつてローマ帝国の北ブリタニアにおける拠点都市であったが、ローマ帝国のブリタニア撤退後にアングロサクソン人が占領し、最終的にはノーサンブリア王国の首都となった。そして866年、ノーサンブリア王国では王座を巡る内戦が勃発し、エッラ王(英語版)とオスバート王(英語版)の2人の王族が互いに対立した。そんな中ブリテン諸島に大挙して現れた大異教軍によって王国の首都ヨークは占領された[要出典]。
867年春、エッラ王とオスベルト王は首都を占領したヴァイキングを撃破するべく同盟を締結し、両者は力を合わせてヨークを奪還しようと試みた。ノーサンブリア軍はヨークの城壁を乗り越えて市街への侵入に成功したが、ヨーク市街での戦闘でヴァイキングを撃破することはできなかった。またこの戦いのさなか、エッラ王とオスベルト王はともに戦死し、ノーサンブリア王国の試みは失敗に終わった。
ノーサンブリア軍に勝利したヴァイキングは、ノーサンブリア王族の1人であるエグバートをノーサンブリア王に据え置き、王国に傀儡政権を構築した。そして最終的にはノース人が直接この王国の版図を支配するようになり、ヨークを中心とするヨールヴィーク王国を建国するに至った。