ラシッド・ドスタム
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アブドゥル=ラシード・ドスタム(ダリー語: عبدالرشید دوستم、ウズベク語: Abdul Rashid Doʻstum / Абдул Рашид Дўстум、Abdul Rashid Dostum, 1954年3月25日[1]前後 - )は、アフガニスタンの軍人、政治家。ソ連侵攻に伴うアフガニスタン紛争中、人民民主党政府の陸軍司令官から転向し、ウズベク系軍閥「イスラム民族運動」の司令官となり、他の軍閥としのぎを削った。数々の変節に加え、内戦を通じて行った捕虜の大量処刑や残虐行為、イスラム共和国政府下においても反乱行為や政敵に対してレイプを行ったとして悪名高い[2][3][4]。ハーミド・カルザイ政権では国防副大臣に就任、アシュラフ・ガニー政権では第一副大統領、国防次官、参謀総長、元帥を務めた。
概要 生年月日, 出生地 ...
ラシッド・ドスタム | |
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生年月日 | (1954-03-25) 1954年3月25日(70歳) |
出生地 | アフガニスタン王国 ジョウズジャーン州 |
所属政党 | イスラム民族運動 |
称号 |
元帥 アフガニスタン英雄 |
在任期間 | 2014年9月29日 - 2020年2月19日 |
大統領 | アシュラフ・ガニー |
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2021年ターリバーン攻勢によるターリバーンの政権復帰で、ウズベキスタンへ国外逃亡した。
アブドゥルラシード・ドーストム、アブドゥッラシード・ドーストムとも表記される。「ドスタム将軍」として広く知られている。